NHKがわりと好き、トリぞーです。
前回、知り合いのおばぁから教科書には載っていない太平洋戦争の話を聞いたので紹介しました。
【太平洋戦争】教科書に載らないおばぁから聞いた戦争の話を紹介します。
今回も新たに戦争の話を聞くことができました。
この記事ではおばぁに聞いた、教科書に載らない太平洋戦争の体験談を紹介します。
おばぁは台湾出身
おばぁは知り合いの80代の方です。
太平洋戦争当時、小学生だったおばぁは台湾に住んでいました。
台湾は日清戦争の結果、下関条約により1895年から日本が統治することになりました。
台湾は昔、日本だったんですね。
今の日本最高峰の山はみなさんご存知、富士山。
しかし、当時は富士山ではなく台湾にある新高山(にいたかやま)という山でした。
名前の由来は日本の新しい最高峰の山ということで、明治天皇により新高山と名付けられました。
現在は玉山と呼ばれ、標高は3,952mです。
有名な真珠湾攻撃の暗号電文
「ニイタカヤマノボレ」
これは当時の日本最高峰の山に登れという言葉が、真珠湾への攻撃命令の暗号になったのです。
この暗号は長崎県佐世保市に今も現存している針尾送信所から送られたとも言われています。
現在も三本の高い電波塔を見ることができます。
少し話は逸れましたが、おばぁは台湾で幼少期を過ごし、台湾で太平洋戦争を生き抜いてきました。
おばぁの体験
前回と同様、おばぁは教科書には載っていないような体験を話してくれました。
「アメリカを初めて地図で見たときびっくりした」
とおばぁは言いました。
小学生時代に太平洋戦争を経験したおばぁが、初めて地図でアメリカを見たのは高校生の時だったとのこと。
その第一印象は
「アメリカってこんなに大きいの?」
だったそうです。
当時の学校では地図を使った授業がありませんでした。
単純に地図がなかったのか、あえて地図を見せなかったのかは分かりません。
そして、当時のおばぁはアメリカは日本より小さい国と思っていたそうです。
そういう教育だったのか、
はたまた、日本はアメリカに戦争で負けることはないという教育だったので、おばぁが勝手にそう思い込んだのか。
そこは聞くことが出来ませんでした。
おばぁが高校生になって、初めて地図でアメリカを見たときは本当に驚いたそうです。
そして次に感じたのは
「こんな国に日本が勝てるわけない」
だったそうです。
しかし、おばぁも当時幼いながらも
「なんで日本より小さい国なのにたくさん飛行機が飛んで来るんだろう」
だとか、
「なんでこんなに怪我をした日本兵がたくんさんいるんだろう」
と思っていたそうです。
おばぁが住んでいた台湾の南の地方には、たくさんの負傷兵が治療を受けていたみたいです。
その時のおばぁの生活は弁当を持って学校へ登校。
机を全部外に出し、負傷兵の部屋となった教室で1日中、日本兵の看病の手伝いをしたそうです。
汚れた包帯を洗って干したり、山に食料としてパパイヤを取りに行ったり。
しかし、当時はそれが当たり前だったとのこと。
おわりに
今回も知り合いのおばぁから貴重の体験談を聞くことができました。
地図でアメリカを見て、大きすぎてビックリしたとの話に私も大変驚きました。
今でも戦争の歴史において何が正しいのか、何が間違いなのかはっきりしなものもあると思います。
これからも自分で得た情報を紹介していきたいと思います。
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