福岡県筑紫野市にある筑紫神社を散策
・思ったより立派な神社
・神話に出てくる神様、そのご利益とは?
・筑紫氏の情報は乏しい…。
好きな球種はチェンジアップ、トリぞーです。
調べている歴史上の大名に筑紫氏という武将がいます。
福岡県筑紫野市や佐賀県鳥栖市あたりを治めていた家系。
そんな筑紫氏、残された資料が少ない!
図書館に行ってもこれといった資料がありません…。
なので今回は筑紫氏にゆかりがある、筑紫神社に訪れてみました。
筑紫神社
筑紫神社とは福岡県筑紫野市原田にある神社。
創建は不明であり、元は城山山頂にあったとか、元々この場所にあったなどの説があります。
奈良時代『筑後国風土記』の神話によると、
『当時、筑前と筑後の境となる山に荒ぶる神がいました。後にこの神を祀って、筑紫の神と呼ぶようになった』
荒ぶる神を祀るって、器がデカいですね。
筑紫神社には荒ぶる筑紫の神以外に、坂上田村麻呂(サカノウエノタムラマロ)、玉依姫命(タマヨリヒメノミコト)も祀られています。
坂上田村麻呂は必勝・戦いの神。
玉依姫命は縁結び・子孫繁栄の神。
筑後国風土記から筑紫神社は奈良時代には存在していたと考えられています。
約1,300年前。
筑紫の語源は筑紫神社の神号から起こったとされています。
交通アクセス・駐車場
電車でお越しの方はJR原田駅から徒歩10分。
西鉄の最寄り駅である筑紫駅からは徒歩20分となっています。
筑紫駅からはけっこう遠いです。
車でお越しの方は駐車場があります。
正面参道の隣に5〜6台、裏側の国道沿いに15台程度の駐車スペースがあります。
境内
筑紫神社の参道は長崎街道に面しています。
所在地である原田には江戸時代より長崎街道原田宿がありました。
当時の旅人は境内下の広場に牛や馬を休めせ、道中の安全を祈願していたとのこと。
一の鳥居をくぐって参道に入ります。
すぐに手を洗う場所があるのですが、蓋が閉められていました。
手は洗えず、先に進みます。
参道を進むとすぐに二の鳥居。
階段を進んで本殿へ。
途中には狛犬や五所神社という神社もあります。
おそらくもう1つ別の神社があったと思います。
2つの神社の横を通り、本殿につづく階段を登ります。
階段はそんなに多くはありませんが、年配の方は少し疲れるかも。
立派な本殿。
左側に馬の像がありますね。
以前訪れた光の道で有名な宮地嶽神社にも馬の像がありました。
調べてみると、昔は神が乗る馬・神馬を奉納する風習があったとのこと。
しかし、小さい神社では実際の馬を奉納するのは負担があるので、神馬の代わりに絵馬に置き換わったとありました。
この話からも、馬の像がある筑紫神社は立派な神社となるのかな。
本殿の広場には休憩所があります。
天井には立派な絵が描かれていました。
春先はここでひと休みすると暖かい風が吹き、めちゃくちゃ気持ちいいです。
腰が5トンくらいになります。
休憩所の先に階段があり、国道に面する裏へと降ることができます。
裏にある参道は春になると桜がキレイです。
こちらには広めの駐車場があり、花見も楽しむことができます。
粥卜祭
粥卜祭(かゆうらさい)とは筑紫神社で3月に行われる行事です。
2月に筑紫神社の井戸の水をくみ、ご飯を炊きます。
そのご飯を1ヶ月間、神殿にお供えする。
1ヶ月後の3月にご飯の表面に生えたカビで、その年の豊作を占います。
テレビでも毎年放送され、筑紫野市指定無形民俗文化財に指定されています。
筑紫氏との関係
筑紫神社と筑紫氏には関係があります。
鎌倉時代から筑紫氏はこのあたりの筑紫村を管理していました。
その際に筑紫神社の社司も兼ねていました。
その後、応仁・文明の頃より筑紫氏は筑紫村を去ります。
行き先は佐賀県鳥栖市の勝尾城。
勝尾城に移居し、一帯を支配していましたが島津勢により落城します。
勝尾城の記事はこちら。
おわりに
今回、戦国時代の大名である筑紫氏にゆかりのある筑紫神社を訪れました。
・筑紫神社は1,300年前の奈良時代にはあったと思われる。
・馬の像があり、格式が高い神社。
・勝負ごとや縁談、子宝のご利益。
・筑紫氏は筑紫村を管理し、筑紫神社の社司だった。
んー、筑紫神社に訪れましたが、筑紫氏が社司を兼ねていたことくらいしか分かりませんでした。
しかし、すごく立派でありながら、落ち着く神社。
春には桜も咲いて地元の方がお花見を楽しんでいます。
地元に根付いた、いい神社でした!
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