昌泰の変を分かりやすく紹介します!
- 道真の出世に、藤原時平があせる
- 時平が醍醐天皇にウソをつく
- 醍醐天皇がダマされ、道真は左遷
パンケーキ食べたい♩パンケーキ食べたい♩トリぞーです。
この記事は、昌泰の変について知りたい方に向けた内容です。
- 昌泰の変を簡単に知りたい
- 誰が悪いの?
- どんなウソだったの?
- 道真はどうなるの?
これらの疑問に応えます。
前回は菅原道真の出世や、まわりの嫉妬心を紹介しました。

菅原道真の出世に焦った藤原家が、天皇にウソとつきます。
道真が太宰府へ左遷される、昌泰の変ですね。

人の嫉妬って怖い…
藤原時平の陰謀

順調に出世していった菅原道真。
同じくして出世コースにいる藤原時平(ときひら)。
道真は学者出身としては稀な、大臣の位です。
道真の影響をうけた門下生たちも、
朝廷内の官人として、重要な位置をしめていました。
道真派多すぎぃぃぃ
権力保持に危機感を覚えてきた時平は、
道真を失脚させようと、機会をねらっていました。
道真と時平

学者出身でありながら、大臣をつとめていた道真。
道真は学者としての純粋さにより、門下生から尊敬されています。
しかし、政治家としての素質には欠ける人物でした。
冷静さを失わず、現実をうけとめ、
物事や人間にたいして、客観的にみる力が乏しかったのです。
いっぽう時平は、学問にたいする尊敬や、人間としての教養の深さはみられません。
藤原家という看板を利用して、自分の欲を満たす親の七光り代表でした。
昌泰の変

朝廷の人間が、道真派に傾くなか、
時平は道真を失脚させようと、醍醐天皇にウソをつきます。
醍醐さん、道真に娘いるの知ってます?
あー、いい子らしいじゃん
道真って宇多さんと仲いいですよね?
オヤジと?そーねー
ウワサっすけど、
醍醐さんの弟と、道真の娘を結婚させるって
マジで?そしたら弟が次の天皇?
時平から話をきいた醍醐天皇は、宣明をだします。
『右大臣菅原朝臣は寒門より俄かに大臣にとりたてられたのに、止足の分を知らず、専権の心があり、侫諂の情をもって上皇を欺き、廃立を行なって、父子の慈を離間し、兄弟の愛を破ろうとする。うわべの詞はおだやかであるが、心は逆である。』
道真は貧乏で家柄も良くないところから、
たまたま出世しただけなのに、調子にのってまだ権力を欲する腹黒野郎です。
父である宇多上皇にゴマすってダマし、娘をつかって弟を次期天皇にしようとしています。
そんなことしたら家庭崩壊。
優男のなりしてクズです。
うひょー!
やっちゃったね、醍醐ちゃん!
これらが昌泰の変となります。
道真、太宰府へ左遷

突然、醍醐天皇から宣明が発表され、道真は失脚することになります。
昌泰4年(901)1月25日、大宰権師(だざいのごんのそち)となり、左遷させられました。
大宰権師とは大宰府の長官代理とされ、
京で失脚した大臣経験者の、うけ皿てきな官位です。
道真の左遷は、宇多上皇に知らされていませんでした。
おどろいた宇多上皇は、醍醐天皇に左遷をやめるよう訴えるためにかけつけます。
しかし、門にいた藤原菅根(すがね)が、醍醐天皇に取りつごうとせず、
宇多上皇は、あ然と門前に立ちつくしました。
まとめ
今回は道真の左遷の背景である、昌泰の変を紹介しました。
- 藤原時平が、道真失脚を考える
- 醍醐天皇にウソをつき、道真は左遷となる
ウソ1つで、今まで築き上げてきた信頼や地位が崩壊するんですね。
現実の社会でも起こりそう。
次回は左遷された道真がどのような気持ちや方法で、
福岡県太宰府に向かったのかを紹介します。

つづく!
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