まとめ|菅原道真の出世と嫉妬にまみれた生涯とは?

太宰府天満宮の入り口
記事の内容

菅原道真の生涯を、分かりやすくまとめた記事です。

  • 幼少期から優秀
  • 立派な社会人となり、政界で活躍
  • 性格に難あり、讃岐(香川)に飛ばされる
  • 讃岐での生活で人間的に成長する
  • 阿衡の紛議を解決し、京へ復帰
  • 出世するも、時平のウソで太宰府へ左遷
  • 太宰府で2年間、59才でこの世をさる
  • 死後、怨霊伝説となる

奥さまとの買い物で「ここ本屋ある?」と言っちゃう、トリぞーです。

この記事は、菅原道真の生涯を知りたい方に向けた内容です。

  • 菅原道真の生涯を、サクッと知りたい

こんな人のための記事です。

これまで、菅原道真の記事を書いてきましたが、

今回は、簡単に1つの記事にました。

まとめ記事です

目次

菅原道真の3つの顔

有能な人工知能

みなさんご存知、学問の神様である菅原道真

しかし道真には、学問のほかに別の顔も持っていました。

2つめは、右大臣としての顔

菅原道真は、社会人になってもすごい人だったのです。

太宰府天満宮には、受験生だけでなく、

新社会人の方もぜひお参りしてみては。

3つめは、雷神としての顔

菅原道真は死後、雷神になったとの伝説があります。

人々の恐怖の象徴だったのです。

誕生から社会人になるまで

出世街道を歩くビジネスマン

菅原道真は、子どもの頃から勉強ができました。

かし、成長するにつれ、学力は平凡なものとなっていったのです。

いまでいう、大学入試はギリギリで合格。

そんな道真ですが、母親の愛情や家庭環境により優秀な成績で社会人となりました。

出世に暗雲

分厚い雲に覆われた空

優秀な成績で社会人となった菅原道真。

しかし、順風満帆とはいきません。

優秀な成績ゆえに、性格に難ありとなってしまいました

くわえて、父・是善(これよし)の死。

菅原道真の山あり谷あり人生のスタートするのでした。

讃岐国に追いやられる

干ばつによりヒビが入った地面

菅原道真は大都会・京で仕事をガンバってきました。

しかし、まわりからの嫉妬により、讃岐国に追いやられてしまいます

現在の香川県です

シティボーイの道真はピンチ。

しかし、ピンチはチャンスを生みます。

讃岐国の人々は、税や干ばつなどで極貧生活を送っていました。

道真は地方の生活に、カルチャーショックを覚えます。

ピンチだった道真は、人として大きく成長するのでした

阿衡の紛議

サイコロを囲んで会議をする3人の人形

道真が讃岐国で奮闘しているころ、京で事件がおこります。

宇多天皇が人事のとき、政界で力をもっている藤原基経(もとつね)を阿衡に任命します。

しかし阿衡という役職、なんの仕事もないのです

阿衡の意味を知った基経はご立腹。

政界はゴチャゴチャになってしまいました。

阿衡の紛議の黒幕

善悪の両面を現した仮面

政治の中心である京は、阿衡の紛議により混乱していました。

混乱の原因は、宇多天皇が藤原基経を阿衡に任命したことが発端です。

宇多天皇はなぜ、基経を阿衡に任命したのか?

阿衡の紛議には黒幕がいたのです

黒幕は基経の部下である、藤原佐世(ふじわらのすけよ)だったのです。

そして、阿衡の紛議を解決した人物こそ、藤原道真でした。

道真、京へ凱旋

右肩あがりの棒グラフ

見事、阿衡の紛議を解決した菅原道真。

成果をたたえられ、讃岐国より京へ戻るとになります。

京へ戻った道真は、讃岐国での経験を活かして京でも大活躍。

仕事の1つに、遣唐使の廃止があります

遣唐(隋)使とは、聖徳太子がはじめた伝統ある行事。

道真位は、伝統ある遣唐使派遣を廃止にしたのです。

遣唐使の廃止により、政治の制度もかわっていきました

昌泰の変

巨大な渦潮

順調に出世をはたしていく、菅原道真。

でる杭は打たれるとは、今も昔も同じようで、

道真は、まわりからの嫉妬の渦へまき込まれていくのです。

味方であった宇多天皇は上皇へとなり、相方の藤原時平(ときひら)も親の七光り。

道真の近くで、もっとも嫉妬していたのが、七光り時平でした。

時平のウソにより、道真は太宰府へと左遷されられたのです

この事件を、昌泰の変といいます。

太宰府での生涯

太宰府天満宮の入り口

道真の太宰府生活はヒドイもので、

囚人のような生活だったといわれています。

家も服も、大切な本もボロボロ。

しかし、道真は自分の生活を受けいれ、恨みごと1つ言いませんでした

道真は59才で、栄光と苦悩にみちた生涯に幕を閉じました。

雷神伝説

伝説

太宰府の地にて、波乱万丈な生涯を閉じた道真。

しかし、道真の歴史には続きがあります。

道真の死後、京ではさまざまな事故や災害がおきます。

とくに、左遷に関わった者が、

落雷により次々と亡くなっていきました

これらの出来事は菅原道真のタタリとして怨霊伝説となります。

しかし、怨霊伝説の背景には、道真をしたっていた人々の人望があったのです

おわりに

今回は、これまで記事にしてきた、菅原道真の生涯をまとめました。

  • 幼少期から優秀
  • 立派な社会人となり、政界で活躍
  • 性格に難あり、讃岐(香川)に飛ばされる
  • 讃岐での生活で人間的に成長する
  • 阿衡の紛議を解決し、京へ復帰
  • 出世するも、時平のウソで太宰府へ左遷
  • 太宰府で2年間、59才でこの世をさる
  • 死後、怨霊伝説となる

本当に波乱万丈な生涯ですね。

菅原道真についての記事は一旦ここまでとします。

今後は太宰府全般について記事を書いていこうと思います。

ありがとうございました!

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