ソウルシンガーは山下達郎、トリぞーです。
前回は菅原道真が仲間の嫉妬により、讃岐国(香川県)に追いやられたところまで紹介しました。
【藤原道真】やっぱり人間の嫉妬って怖い!讃岐国に追いやられた菅原道真!
今回は少し話がそれまして、道真不在の京で起きたある事件を紹介します。
この記事では阿衡の紛議(あこうのふんぎ)を紹介します。
宇多天皇 阿衡の紛議
仁和3年(887)、道真不在の京では新しく宇多天皇が即位しました。
宇多天皇は父光孝天皇の7番目の子どもです。
宇多天皇は藤原基経(ふじわらのもとつね)の推薦により、21歳で天皇になりました。
基経は宇多天皇の父である光孝天皇の関白(天皇側近)でもあったため、宇多天皇も引き続き基経を関白に任命しようとします。
ごくごく普通の流れのようですが、宇多天皇と父・光孝天皇はあんまり仲がよくありません。
光孝天皇は卑屈な男だったと言われています。
光孝天皇「わしって低能、息子も低能じゃ…」
光孝天皇は比較的遠い血筋から天皇になったことに、引き目があったのでしょう。
なんと、息子の宇多天皇を臣籍(しんせき)させます。
臣籍とは皇族から外されること。
宇多天皇「(じじぃゴラァ、何かましてくれとんねん!!)」
なので宇多天皇は光孝天皇の関白であった基経をそのまま関白にしたくありませんでした。
しかし、基経は関白としての経験もあるためいきなりクビには出来ません。
そこで宇多天皇は祖父の橘広相(たちばなの ひろみ)に相談します。
橘広相とは、あの学業の神様・菅原道真の父である是善から中国の歴史を学んだ経験があります。
宇多「基経って何か好かんねん、ジッジどーにかしてや」
広相「おー可愛い孫よ、ジッジに任せなさい。」
広相「中国で阿衡(あこう)って職があるんだけど、それに任命しなさい。」
阿衡(あこう)とは中国の殷の時代の職です。
日本でいう摂政や関白にあたります。
しかし、この阿衡、仕事は何もありません。
地位は高いですが何も権力がない職なのです。
宇多「最高やん!でもそれバレへんの?」
広相「大丈夫、ジッジを信用しなさい」
そして宇多天皇は基経を阿衡に任命します。
宇多「基経ヲ阿衡ニ任命シマス~」
基経「ありがたき幸せ(阿衡ってなに?)」
阿衡を知らなかった基経は部下の藤原佐世(ふじわらの すけよ)に聞きます。
基経「オレ阿衡になったんだけど、阿衡ってなに?」
佐世「カクカクシカジカ…」
基経「もっと簡単に説明してよ」
佐世「ただのピエロです」
基経は自尊心が傷つけられたとして一切の政務を放棄します。
これにより国の政務は停滞し、混迷の事態に陥ってしまうのです。
つづく!
以上が宇多天皇時代に起きた阿衡の紛議。
少し違うところもあると思いますが…
しかし、橘広相はどうして孫の宇多天皇に阿衡に任命したらとアドバイスしたのでしょう?
ただ孫に好かれたかっただけなのか、それとも基経が邪魔だったのでしょうか?
何とこの事件には黒幕がいます。
その話は次回のこの記事で紹介しています。
【菅原道真】阿衡の紛議に黒幕がいた!?藤原佐世の陰謀を紹介します!!
つづく!!
コメント