萩市にある世界遺産、大板山たたら製鉄遺跡を紹介します。
・産業革命を支えた鉄の生産場所!
・萩市内から離れているが、そこがいい…。
・道は細く、駐車場も狭い。
故郷に錦を飾りたい、トリぞーです。
世界遺産検定受験に向け勉強を開始してから、初めて世界遺産を訪問。
今回は前回に引き続き山口県は萩市にある世界遺産、大板山たたら製鉄遺跡を勉強を兼ねて紹介したいと思います。
たたら製鉄

たたら製鉄とは日本において、古代から近代にかけて発展した製鉄方法です。
炉に空気をおくりこみ、木炭をつかって砂鉄から純度の高い鉄をつくります。
空気を送りこむ鞴(ふいご)が、たたらと呼ばれていたため、
たたら製鉄と名づけられました。
大板山たたら製鉄所

大板山たたら製鉄所は、産業の発達において、
なくてはならない鉄を生産していた、貴重な製鉄所です。
産業革命は、鉄生産を中心に進められていったたたと言っても、
過言ではありません。
山口県をふくむ中国地方は、原材料の砂鉄が豊富。
燃料の木炭になる広葉樹林も広がっており、
たたら製鉄に適した場所だったのです。
大板山たたら製鉄所は、3つの期間に分かれて操業されていました。
- 第一期操業
- 第二期操業
- 第三期操業
第一期操業
大板山たたら製鉄所は、明治日本の産業革命遺産に登録されています。
しかし、その歴史はさらに古く、最初の操業は寛延4年(1751)。
最初の経営者は、生雲村(萩市)の阿川六郎兵衛。
阿川は大板山で、林業を経営していましたが、
石見国青原村(島根県津和野村)の紙屋伊三郎(かみやいさぶろう)に、
製鉄所の開設を相談します。
紙屋は弟子である、伴三蔵(ともぞう)を派遣。
伴蔵の助けをかりながら、阿川は大板山で製鉄所を操業させました。
しかし、経営は上手くいきません。
阿川は各地から資銀協力をえます。
綿屋三四郎(わたやさんしろう):奈古村(阿武町)
中村屋助衛門(なかむらやすけえもん):奈古村(阿武町)
古屋源衛門(ふるやげんえもん):萩
金子彦兵衛(かねこひこべえ):紫福村(萩)
しかし、阿川は借金の返済ができません。
操業から8年で、操業停止となってしまいます。
第二期操業
第二期の操業は文化9年(1812)。
青原村の原田勘四郎(はらだかんしろう)が再開させました。
原田は石見国伊野村の砂鉄を買い入れ、鉄を生産。
つくった鉄を下関の問屋へ送り、九州方面へ販売しました。
しかし、原田も資銀ぐりにいきづまり、
第二期の操業は1822年までの、10年間とされています。
第三期操業

第三期操業の経営者は、
石見国大森天領渡津村(島根県江津市)の高原竹五郎です。
この頃になると、長州藩は海外からの脅威にそなえ、軍艦の製造に力をいれます。
安政3年(1856)、長州藩は綿谷三四郎に鉄の調達を命じます。
翌年、経営者の高原に50両を支払い、
文久3年(1863)からは独占的に鉄を買うこととなりました。
同じ年、恵美須ヶ鼻造船所にて、長州藩最初の洋式軍艦『丙辰丸』が建造されます。
丙辰丸につかわれたクギや碇の鉄は、大板山たたら製鉄所から供給されました。
第三期の操業は12年以上、
地元の伝承では、明治時代初期まで継続したと言われています。
世界遺産、大板山たたら製鉄遺跡

世界遺産に登録された大板山たたら製鉄遺跡は、
山口県萩市中心部から東方の内陸部、山の口川最上流部の平坦地にあります。
萩市の世界遺産はそれぞれ近場に集まっていますが、
大板山たたら製鉄遺跡だけ離れた場所。

ちょっと遠い
製鉄遺跡までの道のりは山道となっており、ダム付近になると道幅が狭くなり、中・大型車は通行不可となっています。
私の車はハイラックスですが、離合ポイントもあり通行できました。
駐車場

駐車場は無料ですが、それほど駐車台数は4、5台くらいです。
しかし、日曜日の昼に訪れても停めることが出来る程度の来客数。
駐車場自体が狭いため、大きい車になると何回か切り返しが必要となります。
インフォメーション

製鉄遺跡にはインフォメーション施設があり、映像で製鉄所の歴史を学べたり、実際に砂鉄に触れることができます。
スタッフはインフォメーション施設に1人、実際のガイドに1人。
製鉄所跡地

インフォメーション施設から歩いてすぐの所に製鉄所跡地があります。
現在は跡地しか残っていませんが、当時の炉や建物の様子をガラス越しに確認することができます。


道の駅ハピネスふくえ

大板山たたら製鉄遺跡に向かう途中に道の駅ハピネスふくえがあります。
道の駅には大板山たたら製鉄所跡のインフォメーションセンターが併設され、各パンフレットや当時の絵、丙辰丸の模型等が展示されています。
製鉄遺跡を訪れる前に、この道の駅にも訪れることをお勧めします。
おわりに
今回は萩市の世界遺産である明治日本の産業革命遺産の1つである、大板山たたら製鉄遺跡を訪問しました。
・大板山たたら製鉄遺跡は萩市内から離れている。
・道は狭いが大きい乗用車でも通行可能。
・駐車場は狭い。
・途中の道の駅に寄って製鉄所跡を予習すべし!
先に萩反射炉や恵美須ヶ鼻造船場を訪れましたが、大板山たたら製鉄遺跡こそが萩の明治産業遺産の礎だと感じました。
萩市街から離れているため他の世界遺産よりも寂しい感じがありますが、この寂しさも縁の下の力持ち感があり、一番渋い場所となっています。
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