家ではメガネに憧れる、トリぞーです。
前回新たな趣味を見つけました。それがこれ!!
『那珂川八十八カ所礼所巡り』ドン!!
【那珂川八十八ヶ所】四国や福岡県篠栗町みたいな礼所巡りが那珂川にもあった!?
しかし、地元の方も存在を知る人が少ない那珂川八十八ヶ所。
ネットでもほとんど情報がありません。
市役所のサイトにもないとは…
そんな那珂川八十八ヶ所礼所の場所を調べ、実際に巡ることが新たな趣味となりました。
そのためにも数少ない情報から新たな情報を見つけるしかありません。
この本から探っていきます。
『郷土なかがわ』
地図
那珂川八十八ヶ所礼所の場所を調べるためには、やはり地図があると非常に助かります。
那珂川市図書館で見つけた本『郷土なかがわ』は全ての八十八ヶ所礼所を紹介した写真集。
しかし、礼所の写真だけではよほど那珂川を知り尽くした人しか、場所を特定することができません。
実際の写真がこれ。
『第八十番礼所 千手観音』
無理!絶対わかんない!!
そんな中でも場所を特定できる写真もあります。
『第八十八番礼所 十一面観音』
右下に『大徳寺』と書かれている石があります。
大徳寺は那珂川市中原にあるお寺さんです。
地元では有名なお寺さんみたいなのですぐ分かります。
でも『郷土なかがわ』をざっと見た感じ、場所を特定できる写真はこの大徳寺くらいでした。
でもさすが『郷土なかがわ』
いい製本がされた本にはやはりありました!
古い!
明治13年、約140年前の地図です。
でもその横に現代の地図もありました。
手書き!
雰囲気はいいのですが、もう少し分かりやすい方が…
しかし、ほとんど情報がなかった所から始まったのでこれは大きな進展です。
この現代の地図は今とさほど変わらないので早速巡ってみたいのですが、如何せん那珂川まで遊びに行ける時間がそんなにありません。
なのでこの地図から新たな情報を探します。
地名
幸いなことに私には那珂川在住の知り合いが多くいます。
その方にこの地図を見てもらいました。
すると年配の方からこんな話が。
「あぁ〜芋生から通学していたクラスメイトがいたなぁ〜」
この方は80代の方であり、中学生時代の話とのこと。
約65年前の話。
次は那珂川の地名に詳しい方にもこの現代の地図を見てもらいました。
この方は40代、すると意外な一言。
「芋生?聞いたことないよ」
この時は「この人でも知らない地名があるんだ〜」としか思いませんでしたが、次にこんな一言。
「戸板はもーないね」
あれ?芋生と戸板は隣同士っぽいのに戸板は知ってるんだ。
今は無い地名がこの現代の地図に書かれている。
ということは、この現代の地図がいつ描かれたものなのか特定することができるんじゃないか?
芋生・戸板
調べてビックリ。
芋生も戸板もネットで検索しても、全くと言っていいほど情報がありませんでした。
かろうじて戸板の情報が少しだけ。
戸板は那珂川市南面里に属していた集落。
恐らく現在は人が住んでいないんだと思います。
芋生の情報は見つけることが出来ませんでした。
ちなみに芋生と戸板は2000年ごろの地図には表記がありましたが、現在の地図には表記されていません。
ということは芋生・戸板はここ10年〜20年の内に消滅したことになるかと。
芋生・戸板の情報から、郷土なかがわにある現代地図がいつ描かれたかの特定はできませんでした。
つづく
やっぱりそぉ上手くはいかないな〜。
と思っていたところにある文字が。
『昭和59年7月1日 謹製』
ただ難しく考えたいただけでした。
本には発刊日が記載されているもの。
この本は1984年に発刊されたと記載されていたので、この現代の地図は35年以上前に描かれた地図になります。
なので、那珂川八十八ヶ所は35年前まではしっかりあったということです。
今回はこれといって情報を得ることが出来ませんでしたが、こういうことの積み重ねで誰も知らない、誰も気づいていない歴史を知ることができると思っています。
つづく!!
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