【コレだけは頭に入れたい】明治日本の産業革命遺産を簡単説明

記事の内容

明治日本の産業革命遺産をまるっと紹介!

  • 全国8県、23の構成された世界遺産
  • 短い期間で近代化を成しとげた証明
  • 23つの構成資産を簡単に説明

寿司に食われてしまう、トリぞーです。

この記事は明治日本の産業革命遺産を簡単に紹介しています。

  • どんな世界遺産なの?
  • どこに、何ヵ所あるの?
  • 入門編として簡単に知りたい!

これらに疑問、要望に応えます。

九州をドライブしていると、たまに世界遺産の看板を見かけます。

しかし、テレビではあんまり見ない、

明治日本の産業革命遺産というもの。

行ってみようと思っても、知識がないとオモシロくありません。

奥さま

ドコが世界遺産なのかも分からんで!

記事を読むと、23の構成資産が簡単に分かります

ぜひ世界遺産を旅して頂きたいと思います!

知って行くとオモシロい!

目次

明治日本の産業革命遺産とは?

明治日本の産業革命遺産とは、

九州を中心とした、全国8県に点在する世界文化遺産です。

2015年に登録されました。

明治日本の産業革命遺産は、シリアル・ノミネーション・サイトになります。

シリアル・ノミネーション・サイトとは、

同じような特徴や背景をもつ遺産を、1つの世界遺産として登録したもの。

日本の産業は江戸時代末期から明治にかけて、

飛躍的に発展しました。

江戸時代末期、幕府は外国から国を守る必要を感じたのです。

明治維新がおこると、西洋の知識や技術を導入。

トーマス・グラバーなどの協力のもと、近代化の基礎ができました。

当時の産業は、主に3つの分野に分けられます。

主な産業
  • 製鉄-製鋼
  • 造船
  • 石炭産業

製鉄-製鋼

嘉永6年(1853)ペリーひきいる黒船が横浜にあらわれました。

黒船の動力は蒸気機関。

日本人は黒煙をはきながら走る船に驚きます。

なんやねんアレ…

危機を実感した藩士は大砲を作るため、

自力で反射炉の建設に挑戦。

しかし、実用化は難しいものでした。

国内に11基建設され、韮山反射炉が実際に稼働しています。

日本の伝統的な製鉄方法(たたら)による鉄は、

日本刀には適しましたが、大砲には向かなかったのです。

19世紀末、ドイツより最先端技術を導入します。

インフラの整備・人材育成に力をいれ、

わずか10年で、鋼を生産する素材産業を確立しました。

土木建築・機械製造など、あらゆる産業分野において、材料の生産加工を可能としたのです

鉄は国家なり!

造船

江戸末期までの日本の船は、

風の力で進む、和船が中心でした。

ペリー来航により、それまでの法律だった大船建造の禁が解かれます。

大きい船つくってくれや!

日本は急速に洋式船の建造に向かいますが、

うまくいきません。

外洋に出るための知識も不足していました。

文久元年(1861)日本初の本格的な洋式工場(長崎製鉄所)が長崎に完成します。

幕府はオランダ海軍のヘンドリック・ハルデスを呼び、

西洋から舶用機械修理技術を導入しました。

石炭産業

石炭は蒸気船や蒸気機関車の燃料として、

また、製鉄・製鋼の原料として、明治日本の急速な産業化を支えました

18世紀、イギリスで蒸気機関が発明されます。

ロンドンには鉄道がはしり、蒸気船が大海原をわたっていました。

石炭は産業の糧であり、日本には豊富な石炭がありました。

イギリスより150年おくれて、

長崎港の沖合に、日本で最初の近代炭坑が誕生しました。

高島炭坑です

なぜ世界遺産となったのか?

質問と答え

明治日本の産業革命遺産が世界遺産となった理由は、

江戸末期から明治にかけて、

50年というきわめて短い期間で近代化し、飛躍的な経済発展を成しとげたからです

登録された基準
  • 文化交流が行われてきたことを示す遺産(文化交流)
  • 建築技術や科学技術の発展を伝える遺産(建築-科学技術)

世界の近代化はイギリスから始まりました。

18世紀、綿工業の手作業にかわる機械や蒸気機関の発明、

石炭利用などの産業革命がおこります。

近代化はイギリスを中心にヨーロッパやアメリカに広がりましたが、

日本は欧米諸国から遠く離れていました。

しかし、わずか50年で近代化を成しとげ、

欧米の国以外で初めて、近代国家として世界に認められたのです

ものづくり日本!

23つの構成資産を簡単紹介

右手のピースサイン

明治日本の産業革命遺産は、23の資産で構成されています

九州・山口を中心に分布しており、

日本が明治時代に急速な産業化を成しとげたことを、現代において証明しています。

23の構成資産で、1つの世界遺産としての価値があり、

現在もつかわれている工場や港もあります。

1つ多い24に分けました

小菅修船跡

小菅修船場跡とは、日本初の蒸気機関を動力とした、

洋式の引き揚げ船台です。

薩摩藩士・五代友厚(ともあつ)と小松帯刀(たてわき)が、

グラバーと共同出資で建設しました。

明治政府の買収後、三菱の所有物となり、

1953年まで稼働しています。

引き揚げ装置を格納する小屋は、現存する最古のレンガ造り建築で、

コンニャク煉瓦が使われています。

コンニャク煉瓦とは、明治維新前後に長崎でつくられた煉瓦。

当時、焼成温度が高くできず、薄い煉瓦となっています。

また、船を乗せる台の形状から、そろばんドックと呼ばれました。

そろばんドックは現存していません

第三船渠

第三船渠(せんきょ)は、明治後期における船舶の急速な巨大化と、

設備電化の中で建設されました。

建設当時のイギリス製電気モーターと排水ポンプは、今も現役として活躍しています。

非公開施設です

ジャイアント-カンチレバークレーン

グラバー園から見るジャイアント・カンチレバークレーン

ジャイアント・カンチレバークレーンは、

明治24年(1909)に完成、同型では日本最古の電気クレーンです。

イギリスのアップルビー社製で、

高さは62m、アームの長さは75mあります。

海のそばにあること、戦火に見舞われても現役で活躍していることから、

国際的にも価値があるクレーンです

旧木型場

旧木型場は、明治31年(1898)年に建設され、

長崎造船所にある最古の建物です。

当時は鋳物の木型をつくっていました。

1915年に増築された旧木型場は、長崎大空襲や原爆にも耐え、

現在は史料館として歴史を後世に伝えています。

占勝閣

占勝閣は明治37年(1904)に建設されました。

当時は長崎造船所の所長宅として建設されましたが、

所長は住むことなく、迎賓館として使用されました。

現在も迎賓館として使用されています

非公開施設です

高島炭坑

高島炭坑は長崎港の沖合14.5kmに位置し、

明治2年(1869)に操業を開始しました。

坑口の1つ、北渓井坑(ほっけいこう)は佐賀藩とグラバーの共同事業として開発。

しかし、グラバーの過剰な設備投資により経営難となり、

後藤象二郎(しょうじろう)に権利を譲ります。

象二郎もまた経営難におちいり、福沢諭吉の仲介にて、

岩明彌太郎に権利がうつりました

三菱の傘下となった高島炭坑は、経営が安定しました。

端島炭坑

野母崎から見る軍艦島

端島炭坑は、高島より南西3kmに位置し、

その外見から、軍艦島とも呼ばれています。

野母崎(国道499号)から見ることができます。

まさに軍艦!

高島の経営に成功した三菱は、端島も購入します。

採炭量が増加すると、採炭で出るボタを利用して島を拡大。

高波から島を守るため、要塞のような護岸にかこまれました。

最盛期の端島は、世界でもっとも人口密度が高い場所だったのです。

旧グラバー住宅

世界遺産グラバー住宅

旧グラバー住宅は、三菱重工業長崎造船所を一望する丘にあります。

西洋に向けて港を開くと、外国人商人や技術者、情報が入ってきました。

侍たちは外国人商人の仲介で武器や兵器を購入し、契約の思想を学んだのです。

長崎の構成資産はどれも、岩崎彌太郎(やたろう)とグラバーにゆかりがあります。

トーマス・B・グラバー:スコットランド出身の貿易商人

グラバーは長崎開港とともに、ジャーディン・マセソン商会として来日。

維新の志士に、西洋技術の情報や武器を供給しました。

また、石炭・造船分野でいち早く蒸気動力を用いて、

小菅修船場や高島炭坑において事業化を推進。

日本の近代化の先がけとなったのです。

萩反射炉

世界遺産の萩反射炉

萩の反射炉は実用的なモノではなく、試作された反射炉です。

1850年代、海防の危機から大砲をつくるために建造されました。

全国に建設された11基中、現存する3基の1つです。

佐賀藩が建造した反射炉をマネして挑戦。

結果的に失敗となりますが、日本の産業国家の基礎を築いた貴重な遺産です。

恵美須ヶ鼻造船所跡

恵美須ヶ鼻造船所跡の防波堤

吉田松陰の門下生、木戸孝允(たかよし)は、

洋式船の建造をうったえ、藩は恵美須ヶ鼻造船所を建設します。

造船所では「丙辰丸(へいしんまる)」と「庚申丸(こうしんまる)」、2隻の洋式帆船が建造されました。

大板山たたら製鉄遺跡

大板山たたら製鉄所跡の入り口

大板山たたら製鉄所は、萩城下町から北東へ23kmにあります。

丙辰丸や庚申丸につかわれている和釘は、

大板山たたら製鉄所で作られました。

大板山では足ぶみフイゴをつかう、

日本古来のたたら製鉄法で鉄が作られていました。

萩城下町

世界遺産の萩城下町

長州は本州の玄関口にあり、朝鮮半島とも近い。

江戸時代には、安全に物資を運ぶための海運の要衝でした。

1850年代、萩は毛利家が居城をかまえる政治の中心にあり、

現在も城跡や城下町の町割りが保存されています。

松下村塾

世界遺産の松下村塾

松下村塾は産業革命にかかわった人材を育成した、

吉田松陰(しょういん)の私塾です。

松下村塾では海防の必要性や、産業技術の重要性を教えていました。

松陰の教えは明治維新へとつながり、日本全土をまき込んだのです。

旧集成館

薩摩藩は日本の南に位置し、外洋での和船操縦を得意としていました。

アヘン戦争で中国が敗れると、海防の危機が高まり、

他の藩より先に、大砲づくりや蒸気船の建造に挑戦しました。

薩摩藩・島津斉彬(なりあきら)は仙巌園を切り開き、

集成館という日本初の工場を建設します。

大船建造の禁が解かれると、洋式帆船「昇平丸」を建造。

安政2年(1855)には日本初の蒸気船「雲行丸」を建造し、

長崎海軍伝習所からきたオランダ人教官を驚かせました。

チェスト!

反射炉跡

薩摩藩は鉄製の大砲をつくろうと、

オランダの技術本を片手に、自力で反射炉を建造しました

現存する3基の反射炉の1つです。

寺山炭窯跡

幕末の鹿児島では、集成館のまわりに広がる雑木林から木炭をつくっており、

3基の巨大な炭窯が建てられました。

寺山炭窯跡は当時の壁面が残されています。

3基のうち、確認されているのは寺山炭窯のみ

寺山炭窯で焼かれた炭は、火持ちがよく、

高温となり産業現場で活躍しました。

関吉の疎水溝(せきよしのそすいこう)

世界遺産の関吉の疎水溝

蒸気機関が本格的に導入されるまでは、

機械の動力は水車に頼っていました。

しかし、集成館のまわりに大きな川がありません。

そこで、島津家が生活用水で使っていた棈木川(あべきがわ)を、工業用水用につくり直しました。

凝灰岩で川幅をせばめて作った関吉の疎水溝は、水をせき止めて水路にとり込みます。

水路は約7kmの距離に、わずかな勾配をつけられ、

集成館に流れこみ、一部は水車をまわして大きなエネルギーを生みました。

三池炭鉱

世界遺産の三池炭鉱

三池炭鉱は高島炭坑に次いで、2番目に近代化された炭鉱です。

三池炭鉱は地下水が多く、多額な設備投資が必要でした。

明治政府から引き継いだ三井は、資本力を活かし、

ヨーロッパから最新の採炭設備を導入しました。

三池港

世界遺産の三池港

三池港は、團琢磨(だんたくま)により、

三池炭鉱の近く、有明海に建設されました。

港は電化され、護岸には巨大なダンクロ・ローダーが敷設。

ダンクロ・ローダー:三池式快速石炭船積機

三池港は、明治日本の最先端の港湾土木技術と英知が集結した、

珠玉の名港と言われました。

三池港は現役の産業港として稼働しています。

官営八幡製鐵所

世界遺産の官営八幡製鐵所

日清戦争に勝利した明治日本は、内閣総理大臣・伊藤博文の下、

「製鐵所設置建議案」を可決、素材産業の国産化を強く望みました。

明治政府は、筑豊炭田に近く、海に面した八幡村(北九州市)に、官営八幡製鐵所を建設します。

当時は高炉が休止するトラブルが続きますが、

日本人技術者の手で挫折を乗りこえ、操業を安定させました。

官営八幡製鐵所は、アジアで成功した初の製鐵所となり日本経済の基礎を築きました

遠賀川水源地ポンプ室

世界遺産の遠賀川水源地ポンプ室

遠賀川水源地ポンプ室は、八幡製鐵所へ水を送る送水施設です。

八幡製鐵所は第一期拡張計画により水不足になりました。

そこで建設されたのが、遠賀川水源地ポンプ室です。

明治43年(1910)に操業され、動力は蒸気から電気へと変わり、

現在も現役で稼働しています。

韮山反射炉(にらやま)

ペリー来航後、幕府は江戸湾防衛のため、

韮山代官の江川英龍(ひでたつ)に大砲の建造を指示します。

英龍は伊豆国田方郡中村(静岡県伊豆の国市)で、

韮山反射炉の建造に取り組み、息子(英敏)が完成させました。

韮山反射炉は、実際に稼働したことが確認されています。

橋野鉄鉱山

橋野鉄鉱山は、岩手県釜石市の山深くにあります。

盛岡藩士・大島高任(たかとう)は、和蘭書に書かれていた、

「大砲鋳造に適した銑鉄」の製造を目的に、洋式高炉を建設しました。

建設された高炉は、外国人技術者の手を借りず、

木炭や水車をつかった、小さな高炉でした。

地元で採掘された鉄鉱石を原料とし、

日本古来の製鉄知識に西洋化学を応用し、銑鉄づくりに成功します

古来のたたら製鉄法は炉を壊していましたが、

炉を壊さずに鉄を取り出せる高炉法への転換にも成功しまた。

良質な鉄を大量に生産する、近代製鉄へとふみ出したのです。

三重津海軍所跡

世界遺産の三重津海軍所跡

長崎の警護にあたっていた佐賀藩は、

防衛のため砲台をつくり、外国の脅威に備えるため、

もっとも早く西洋化学の情報を入手しました。

長崎に海軍伝習所ができると、鍋島直正(なおまさ)は多くの藩士を派遣します。

海軍伝習所が閉鎖すると、直正は三重津で士官教育を継続しました。

佐賀藩は三重津に洋式乾船渠を建造します。

三重津海軍所では、外輪蒸気船「凌風丸」の建造に成功しました。

三重津海軍所は、見えない世界遺産とも呼ばれます。

三角西港

世界遺産の三角西港

三角西港は、明治政府の三大築港の1つであり、

明治20年(1887)オランダ人水理工師・ローウェンホルスト-ムルドルが設計しました。

明治政府の三大築港
  • 三角西港:熊本県
  • 野蒜築港(のびるちくこう):宮城県
  • 三国港:福井県

三角港にはオランダの都市計画の知見が活かされ、

756mの石積み埠頭や水路、排水システムが作られています。

三角西港は、口之津港の補助港として三池炭の積出をしていました。

しかし、採炭現場から60km離れ立地が悪く、

経済的に非効率であったため、

明治35年(1902)石炭積出港としての役割を終えました。

まとめ

今回は明治日本の産業革命遺産を紹介しました!

  • 明治日本の産業革命遺産は23の構成資産でできた世界遺産
  • 50年という短い期間で近代国家への仲間入り
  • 知識があると旅がオモシロい!

何回も言いますが、知識があるとの無いのじゃオモシロさが違います。

基本の知識を頭に入れ、世界遺産をめぐる旅を楽しんでください!

ありがとうございました!

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

コメント

コメントする

目次