【長崎県平戸市】キリスト教の歴史と教会群を紹介!※世界遺産ではない

長崎
記事の内容

長崎県平戸市のキリスト教の歴史・教会をざっくり紹介!

・平戸の『長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産』とは?

・平戸は潜伏キリシタン形成の土地

平戸教会群は世界遺産じゃない…

カルディの無料コーヒーはあえて飲まない、トリぞーです。

 

長崎や天草地方には『長崎と天草地方の潜伏キリスタン関連遺産』という世界遺産が各地に点在しています。

この世界遺産はキリスト教が禁じられた時代、ひそかに信仰をつづけた潜伏キリシタンの伝統の証となるもの。

遺産群は潜伏キリスタンの始まりから形成、維持・拡大の段階をへて新たな信仰によって伝統が変化するまでの歴史を物語る12の構成遺産からなっています

 

今回はキリスト教の布教から潜伏キリシタンの形成の地となった、

平戸の歴史と教会群をざっくりではありますが紹介します。

 

 

平戸・キリスト教の歴史

 

日本国内で各地の大名が領地を広げようと争っていた戦国時代。

天文19年(1550)すでに海外との交易が盛んだった平戸の港に、日本で初めてポルトガル船が入港しました。

ときを同じくして宣教師フランシスコ・ザビエルが平戸を訪れ、キリスト教を布教し始めます。

 

 

平戸でキリスト教が広がる

 

当時、平戸は松浦 隆信によっておさめられていました

松浦 隆信は平戸にキリスト教が広まることで交易にメリットがあると考えます。

そこで、家臣の龍手田氏一部氏がキリスト教に改宗することを許しました。

 

永禄元年(1558)、永禄8年(1565)住民もキリスト教に改宗し、

平戸の西海岸地域と生月島は日本における最初のキリスト教繁栄の地となりました

キリスト教とそれを信じた信者はキリシタンといわれます。

 

 

キリシタンの弾圧が始まる

 

天正15年(1587)全国統一を進めていた豊臣秀吉は、

キリスト教の宣教師を国外に追放する伴天連追放令を出します。

 

慶長4年(1599)にキリスト教に寛容であった松浦 隆信が亡くなり、平戸で本格的にキリシタンの弾圧が始まりました

 

 

春日集落・中江ノ島で信仰を継続

 

キリスト教の弾圧が始まり、それまで集落にあった教会や十字架は破壊されます。

キリシタンはお寺や神社を受け入れなければなりませんでした。

 

寛永15年(1638)天草四郎ひきいるキリシタンたちが、

キリスト教を禁じる江戸幕府と戦った島原・天草一揆に敗れると、潜伏キリシタンの歴史が始まります

 

平戸のキリシタンは春日集落中江ノ島でひそかに信仰を続けます。

家の奥に納戸神とよばれるご神体をおまつりし、

オラショというキリシタンの祈りの言葉を唱えながら信仰を受けついでいきました。

 

これらの歴史が潜伏キリシタン形成の時代として、

平戸の春日集落と安満岳、中江ノ島が『長崎と天草の潜伏キリシタン関連遺産』に選ばれています

 

形成の時代の関連遺産

・春日集落と安満岳

・中江ノ島

・天草の崎津集落

・外海の出津集落

・外海の大野集落

 

 

キリスト教の信仰再び

 

嘉永5年(1853)ペリー来航で日本の鎖国がおわります。

その後、長崎に建てられた大浦天主堂に潜伏キリシタンが訪れたことで、

長い禁教令時代をたえ、キリシタンの信仰をつづけた人々が広く知られることになります

これらは信徒発見と言われ、奇跡として遠くローマ教皇にも伝えられました。

 

明治6年(1873)には明治政府がキリシタン禁制の高札を撤廃します。

カトリックの神父が各地で布教を行った結果、たくさんの潜伏キリシタンが合流して集落には教会堂が次々に建てられていきました。

 

 

 

平戸の教会群

 

長崎県平戸市周辺には大小14の教会があり、現在もキリスト教の活動が行われています。

しかし、現存する平戸の教会群は『長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産』には含まれていません

 

平戸の教会群の中でもっとも古い教会は明治13年(1880)に建てられた上神崎教会。

始まりの時代形成の時代維持・拡大の時代変容・終わりの時代のうち、

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変容・終わりの時代にあたる関連遺産は長崎市の大浦天主堂です。

大浦天主堂は元治元年(1864)年に建てられており、平戸の教会群は変容・終わりの時代以降のものとなるのです

 

 

カトリック紐差教会

 

平戸大橋から車で約30分進んだところにカトリック紐差教会があります。

所在地は平戸市紐差町1039。

道沿いにあり、駐車場もわりと広いです。

 

 

明治18年(1885)に着任していたマタラ神父が設計し、平戸の信者の協力やフランスの信者の寄付などにより初代の聖堂が建設されました。

 

現在の紐差教会は鉄川与助の設計施工により昭和2年(1927)に起工し、昭和4年(1929)に竣工されています。

同年12月3日に献堂式が行われました。

 

東洋でも指折りのロマネスク様式の教会であり、

内部はアーチやステンドグラスが美しく、船底天井には鉄川与助の特徴である花柄模様があしらわれています

旧浦上天主堂が原爆によって破壊された後は日本最大の天主堂と呼ばれていました。

 

 

カトリック宝亀教会

 

先ほどの紐差教会から平戸大橋方面へ戻ること約2分。

狭い道をのぼっていくとカトリック宝亀教会があります。

所在地は平戸市宝亀町1170。

 

道は狭いですがハイラックスでも通ることができました。

駐車場も数台は停めれるスペースがあります。

 

カトリック宝亀教会は平戸で最も古い木造の教会であり、明治31年(1898)に建立されました。

白い漆喰と赤煉瓦のコントラストが美しい木造教会です

円形の窓やコウモリが羽を広げ多様のコウモリ天井、教会には珍しいテラスなどが特徴

 

 

宝亀教会にはメモ帳があります。

100円で販売だったか、お気持ちを寄付してもらうのか記憶がアイマイですが…。

表紙は2種類ありますよ!

 

 

平戸ザビエル記念教会

 

平戸大橋から市内中心地へ車で約10分のところに平戸ザビエル記念教会があります。

所在地は平戸市鏡川町259-1。

こちらの駐車場はかなり広め。

 

 

平戸ザビエル教会は昭和6年(1931)に建設された教会です。

正面中央に大塔、左にのみ小塔を配置したアシンメトリーな外見が特徴

 

 

平戸ザビエル記念教会で有名なものといえば教会とお寺の2ショット写真

 

 

写真は寺院と教会の見える道から撮影することができます

 

 

寺院と教会の見える道は平戸ザビエル記念教会から少し坂を下って、

お寺の境内を通る道もありますし、教会のウラにある道を進んでも到着します。

 

 

写真の左側にある道を進みます。

 

 

田平天主堂

 

田平天主堂は平戸大橋から平戸市街とは反対方向へ、車で約7分のところにあります。

所在地は平戸市田平町小手田免19。

 

 

田平天主堂はキリスト教復活後に信者たちの祈りの場として大正7年(1918)に完成しました。

設計・施工は鉄川与助であり、色ちがいのレンガを使った外壁はイタリア製(1階)とドイツ製(2階)のステンドグラスが使用されています

 

田平天主堂は戦時中に兵舎として使用され、米軍による機銃掃射を浴びせられました。

その時の銃弾アトが今でも残っています。

このような歴史もあり、平成15年(2003)に国の重要文化財に指定されています。

 

 

 

まとめ

今回は長崎県平戸市のキリスタンの歴史と教会群を散策しました。

まとめ

・関連遺産は潜伏キリシタンの歴史にかかわる12の構成遺産からなる。

・平戸は形成の時代にあたる土地。

・現存する平戸の教会群は潜伏キリシタンの終わり以降の教会。

残念ながら平戸の教会群は『長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産』には含まれていません。

しかし、平戸に広まったキリスト教は潜伏キリシタンをへて現在にいたっています。

世界遺産とはなっていませんが、現在にも受けつがれているすばらしい伝統に変わりありません。

ぜひ訪れてみて下さい!

 

今回は4つの教会しか訪れることができなかったのです、次回は残りの教会も訪れてみたいと思います!

ありがとうございました!

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