日野江城の現在はいかに?

酔った勢いでハーフマラソン、トリぞーです。

 

現在は島原半島1周1人旅を行っています。

 

前回はたまたま立ち寄った

 

有馬キリシタン遺産記念館を紹介しました。

オレの趣味学
404: ページが見つかりませんでした | オレの趣味学 こんにちは、トリぞーです。30代にして自分の趣味はコレだって胸をはるものがなく、中途半端な趣味ばかりでした。このブログでは「趣味を極める」をテーマにしてオッサンの...

 

今回はその次に訪れた

 

日野江城を紹介します!

 

 

 

目次

日野江城

 

日野江城とは鎌倉時代前期の建保年間(1213〜1219)に高来郡を領する藤原経澄が築城しました。

経澄は藤原北家で藤原純友の子孫であり、築城時に姓を有間と称し後に有馬と改称しました。

有馬氏は当初、島原半島南部の一勢力に過ぎませんでしたが、後の当主、有馬 貴純の時代になると島原半島内の諸勢力を制圧し戦国大名へと成長しました。

また、日野江城の支城として原城が貴純によって築城されました。

13代目当主である有馬晴信の時代になると、晴信はキリシタン大名となり寺社を破壊し、城の築材としました。

江戸時代初期に晴信は4万石を領し、日野江城は島原藩の藩庁となりました。

 

しかし慶長17年(1616)、晴信は岡本大八事件の責任を取らされ切腹となりました。

その後、長男の直純が後継となりましたが慶長19年(1614)幕府の命令により日向国延岡城に移転させられ有馬氏は約400年間にわたる日野江城に別れを告げました。

 

有馬氏が去り元和2年(1616)に松倉重政が日野江城に入城しましたが松倉氏は日野江城に不便を感じ新たに島原城が建設され日野江城は廃城となり歴史に幕を閉じました。

 

 

日野江城の現在

 

 

 

日野江城は昭和57年(1982)国の史跡に指定されました。

平成7年(1995)から平成12年(2000)まで発掘調査が行われ、平成18年(2006)初頭には過疎による城地の農地利用の放棄や来訪者の減少により荒廃し約3割近くの箇所で修復が必要であることが明らかになりました。

合併前の北有馬町が修復を兼ね、桜の名所にしようと城地を公園化整備をしたが工事を行なった際に、損壊したものと指摘を受け工事は中止となりました。

その後、世界遺産候補である長崎の教会群とキリスト教関連遺産の構成遺産の1つに選ばれ平成27年(2015)にユネスコ問機関の国際記念物遺跡会議の現地調査を経た結果

平成28年(2016)に「禁教期に焦点を絞るべき」との指摘を受け推薦を一旦取り下げられました。

対応を協議し再推薦は決まりましたが禁教期との関連性が薄いとの判断により構成遺産から除外されました。

 

 

大手門は立ち入り禁止?

 

 

 

有馬キリシタン遺産記念館を見て回り、案内をしてくれたスタッフと談笑を交えながら日野江城の場所を詳しく聞いていました。

 

すると予想外の言葉が、

「豪雨の影響で正面から行けないかも」

 

なんですと?

2019年もひどい雨が続き、日野江城の正面入り口は崩れているかもしれないので入れないかもと言われました。

そこでスタッフから地図をもらいました。

 

 

子供が聞いたであろう可愛らしい地図。

正面は第1駐車場となるのですが、スタッフから第2駐車場からだと大丈夫かもしれないとのことだったので地図を参考に日野江城の第2駐車場を目指します。

 

 

 

日野江城 浦口

 

第2駐車場は日野江城跡 浦口となっています。

しかし、この第2駐車場は駐車場とあるものの車を停めるスペースはほとんどありませんでした。

今回は写真の少し下にあるスペースに車を停め歩いて本丸を目指します。

道が狭かったので歩いて行きましたが車でも登れそうでした。

 

日野江城の近くまでは歩いて10分程度。

しかし、登り坂なので少しキツかったです。

 

 

途中で字が消えそうな看板が出てくるので看板に従い、本丸を目指します。

さらに途中に車が停めれそうなスペースが

 

 

このスペースの奥で道が突き当たります。

 

 

右に広い道が続いていたのでそちらに進みました。

 

 

 

本丸の下

 

道なりに進むとイノシシよけの柵があります。

そこを通ると目の前には北有馬町が一望できます。

 

 

この場所は本丸の下に当たります。

 

 

しかし、この場所は雑草が伸びきっており、本丸に上がる道をなかなか見つけることが出来ない。

 

 

道を先へ進むと

 

 

立ち入り禁止の表示。

豪雨の影響は本当のようです。

この道の先は恐らく大手門に続いていると思われます。

 

 

本丸

 

 

 

大手門へ続く道が立ち入り禁止だった為このまま引き返すか、頑張って悪路を登り本丸へ行くかです。

季節は夏、本丸へ行くには

 

 

こんな道無き道をサンダルで行くしか…

まぁ、行きますよね。

なんとか獣道みたいな場所を見つけ本丸へ!

 

 

うん、廃れた城跡ってこんなもんです。

 

 

鳥居を発見

 

北有馬町も一望できたし、本丸へも行くことが出来たので島原半島1周に戻ろうと来た道を戻っていると、イノシシ柵辺りで鳥居を発見しました。

 

 

たまたま発見した神社などのスポットは冒険ぽくって必ず行くようにしています。

しかし、道がわかりません。

 

本丸から行けそうだけど、もうあんな道は通りたくない。

 

 

サンダルだし。

他に道もないので

 

最初に突き当たった場所まで戻ると

 

 

その先にも道がありました。

浦口から登って突き当たりを右に行った場所を

左に行く道です。

その道を進むと階段があり登ると日野江城跡の最も高台に着きました。

 

 

そこから少し下ったところに先ほどの鳥居が。

 

 

日野江神社です。

 

 

 

ここも本丸?

 

 

日野江神社の少し下に広場がありました。

 

 

ここは先ほど行った本丸跡の上になります。

案内図によればここも本丸とあります。

 

 

ちょと違うのか?

そもそも本丸って1番高いところだと思っていたけど違うのか?勉強不足で辛いです。

 

 

第1駐車場

 

第2駐車場に戻り、立ち入り禁止と思われる大手門側の第1駐車場に来てみました。

 

 

ここには割と広めの駐車スペースがあります。

 

 

大手門には駐車場前のこの階段から行くことが出来ると思います。

写真を見る限り、階段には立ち入り禁止の札がなかったので途中までは行くことが出来るでしょう。

しかし、この時はもうこの階段を登る気力はありませんでした…

一通り日野江城を堪能したので島原半島1周の旅に戻ります。

 

つづく

 

今回は島原半島1周1人旅の立ち寄りスポットとして日野江城跡を散策しました。

今は来訪客も少なく整備もされていない印象。

夏ってのもあり雑草もすごい…しかし、この城は今でこそ廃れていますが当時は金箔瓦があり

 

 

豊臣秀吉との深い関係性を見ることが出来ます。

それでは島原半島1周に戻りたいと思います!

つづく!!

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