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今回は福岡県筑紫野市にあります原田の散策です。
原田には長崎街道が通っており、昔は原田宿として栄えた場所です。
筑紫野市の街道と宿場

筑紫野市では長崎街道・日田街道・薩摩街道が交差し、山家宿・原田宿・二日市宿が置かれました。
政令市などの広域な都市を除けば、一市域に3つの宿場があることは稀です。
これが交通の要衝と言われる由縁。
長崎街道

長崎街道とは江戸時代に整備された脇街道の1つであり、豊前小倉(福岡県北九州市小倉北区)の常盤橋を始点として、肥前国長崎(長崎県長崎市)に至る道です。
約223.8kmの道程で、途中に25の宿場が置かれました。
江戸時代においては鎖国政策の下で、幕府が日本で唯一、外国との交易を行う港である長崎に通じる街道として非常に重視されました。
筑前・筑後・肥前・肥後・薩摩の諸大名の参勤交代の他、オランダ人や中国人の江戸参府や交易・献上品の運搬にも用いられました。
原田宿

長崎街道には25の宿場が置かれましたが、その中の1つが原田宿。
原田宿の創設は正徳4年(1714)に記された二日市宿庄屋覚書によると、寛永年間(1624〜1644)の終わりごろ。
田んぼを潰して、本町の部分が新設され、次に古くからの何軒かの家があった中町・新町の部分が宿場の拡張に伴って再開発されたものと考えられています。
現在の原田宿
筑紫野市にある長崎街道・日田街道・薩摩街道とが交わる場所から、長崎に方面に向かうと原田宿の前に筑紫神社があります。
→【筑紫神社】筑紫氏ゆかりの神社を参拝!桜が綺麗で気持ちが落ち着く神社です!

この神社の眼の前に原田宿跡が整備されています。

ここは原田宿の新町に当たる場所です。
現在は綺麗な家が建っていますが、ところどころに歴史のある民家もあります。
このまま本町の方向へ進みます。
すると所々で歴史を紹介する案内があります。

はらふと餅屋
この店は原田宿の東構口付近にあった、はらふと餅を売るお店です。
現在は韓国料理のお店があるあたりだと思われます。
険しい三国坂や冷水峠を越えるためここで腹ごしらえをしたそうです。
絵には名物・はらふと餅と書かれた看板や薬名書いた広告のようなものが掲示されています。
薬も販売されていたようです。
中町あたりを歩いていると、続いての案内には原田宿の絵がありました。

左側の少し高台になっているところが筑紫神社です。
真ん中にある池が御池。
右側に並んでいる平屋のどれかが、はらふと餅屋と思われます。
原田宿は多くの先覚者たちが行き交いました。
日本最初の銅版画を作成した司馬江漢(しば こうかん)
狂歌作者として著名な大田南畝(おおた なんぼ)
森鴎外の小説で知られる伊沢蘭軒(いざわ らんけん)
松下村塾を開いた吉田松陰(よしだ しょういん)
初めて日本を正確に測量した伊能忠敬(いのう ただたか)
他にケンペル、ツンベルグ、フィッセル、シーボルトなどのオランダ使節が代表的です。
これらの人々の往来は宿場や街道沿いの人々に大きな文化的影響を与えました。
そして本町に差し掛かかります。

案内には原田宿の初代の代官は小河内蔵允(おごうくらのじょう)と紹介されています。
原田宿は筑後・肥前の2国と接する国境の宿場であるため、常設の関番所が置かれました。
小河内蔵允は天拝山の植林でも有名。
→【天拝山】福岡県筑紫野市にある登山初心者にはもってこいの山に行って来ました!!
本町の最後西構口、関番所があったと思われる所にゴールの石碑。

これで原田宿散策終了。
おわりに
今回は福岡県筑紫野市にあります原田宿を散策してきました。
そもそも筑紫野市って3つの街道が交わる交通の要衝だったんですね。
知らなかった…
現在の原田宿は整備はされているものの、立派な住宅地となっています。
古い民家もちらほらありましたが、あんまり歴史を感じることが出来なかったかな。
しかし、これを機会にいろんな宿場や街道を散策していきたいと思います!!
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