夏ーー!!、トリぞーです。
前回は山口県は萩市にある世界遺産、萩反射炉に行ってきました。
【世界遺産】萩反射炉の登録理由は失敗の遺産!?歴史や現地を紹介します!
今回は同じ萩市にある世界遺産、恵美須ヶ鼻造船所跡に行ってきたので歴史の勉強を兼ねて紹介したいと思います!
大船建造の禁
江戸幕府が創設された6年後の慶長14年(1609)、2代目将軍・徳川秀忠は大船建造の禁を発令します。
大船建造の禁とは徳川秀忠が西日本の大名に向けられた法令です。
江戸幕府は西日本の水軍が強力になることを脅威に感じていたのでしょう。
法令の内容は500石積み以上の運船と商船を没収し、水軍を制限するとゆうもの。
その後法令は改訂されていき、500石以上の大船の没収や製造禁止は全国に及びました。
大船建造の禁によって全国の水軍を統制していた江戸幕府ですが、幕末になると日本沿岸にアメリカ・イギリス・ロシアなどの軍船が現れ、幕府や全国の藩の脅威になります。
そして江戸幕府は海外からの脅威から日本を守るため、約250年続いた大船建造の禁は解禁されました。
恵美須ヶ鼻造船所の歴史
恵美須ヶ鼻造船所とは海外からの脅威に備えるため軍艦製造を目的として建設された造船所です。
嘉永6年(1853)、幕府は各藩の軍事力の強化を目的に大船建造を解禁し、萩(長州)藩に対しても大船の建造を要請します。
しかし、萩反射炉と同様、造船所建設のノウハウが最初からあるわけがありません。
そこで萩藩は安政3年(1856)に洋式造船技術と運転技術習得のため、船大工棟梁の尾崎小右衛門を伊豆戸田村に派遣します。
伊豆戸田村には幕府が西洋式帆船を製造しており、洋式造船技術がありました。
尾崎は戸田村で造船に携わっていた高橋伝蔵らとともに萩に帰り、小畑浦の恵美須ヶ鼻に造船所を建設しました。
現在も当時の規模の大きな防波堤が残っています。
丙辰丸
丙辰丸は1857年に進水した、恵美須ヶ鼻造船所で最初に製造された洋式軍艦です。
丙辰丸建造には、同じく明治日本の産業革命遺産の1つである大板山たたらの鉄が使用されたことが確認されています。
用途としては海軍の練習船や大阪との間の輸送船として使用されました。
そして、1860年には丙辰丸の船上にて萩(長州)藩と水戸藩との間で急進的な幕政改革に関する密約が交わされています。
軍艦としては決して有力とは言えなかった丙辰丸ですが、第二次長州征討や戊辰戦争で実戦参加しています。
庚申丸
庚申丸は丙辰丸の次に恵美須ヶ鼻造船所で建造された軍艦です。
丙辰丸は練習船として使用されましたが、この庚申丸は丙辰丸の2倍近い長さをほこり、下関戦争でアメリカ海軍と交戦しています。
また、丙辰丸と同じく第二次長州征討では幕府方を迎え撃つために出撃したり、鳥羽・伏見の戦い前に長州藩兵を輸送する活動も行なっています。
世界遺産 恵美須ヶ鼻造船所跡
恵美須ヶ鼻造船所跡は明治日本の産業革命遺産の1つに選ばれている造船所跡です。
所在地は萩市椿東5159-14
萩反射炉からも近く、車で行く方が多いと思いますが駐車場はあるにはありますが、漁港に停める感じになります。
車を降り、看板を確認しますが、事前に調べていなかった私はどれが世界遺産なのかが分からず、とりあえず目の前の堤防を行ったり来たり。
その後も発掘現場らしき場所も行ったり来たりしますが、やはり事前の下調べがないと楽しみ方が分かりませんね…
登録理由
鎖国時代が続いた日本が開国した理由にペリー来航事件があります。
1853年の年です。
しかし、ペリー来航より45年も前、1808年にフェートン号事件が発生します。
イギリスのフェートン号がオランダ船を装い、長崎に侵入した事件です。
当時、長崎の警備に当たっていた佐賀藩はこの事件をきっかけに海外に脅威を覚えます。
そして、日本で最も早く西洋型の海洋技術を採り入れ、身に付けました。
佐賀県にある三重津海軍所跡も明治日本の産業革命遺産に登録されています。
この三重津海軍所は1858年に建設されています。
【三重津海軍所跡】見えない世界遺産!?ドームシアターとVRでお手軽歴史探求!!
しかし、恵美須ヶ鼻造船所は歴史的には1856年に建設されています。
三重津海軍所より2年も早いことになります。
なのに、幕末日本の造船技術の文献には薩摩藩や佐賀藩、同じく長崎の警備を任せられていた福岡藩は記載されていますが、萩藩の名前は確認できませんでした。
造船技術からすると断然佐賀藩だとは思われますが、歴史的に見るとその佐賀藩より早く西洋型の造船技術を採り入れ、造船技術を研究・製造してきた舞台である恵美須ヶ鼻造船所もまた明治日本の産業革命に相当する遺産だと思われます。
また、平成21年度(2009)から発掘調査や文献調査を行なっています。
これらの調査から丙辰丸はロシアの造船技術、庚申丸はオランダの造船技術によって建造されたことが分かっています。
このように異なる洋式造船技術が共存する造船所は他に類がないことからも大変貴重な遺跡と言えます。
おわりに
今回は世界遺産である明治日本の産業革命遺産の1つ、萩の恵美須ヶ鼻造船所後を訪れ、歴史を勉強しました。
実際現地を訪れると、古そうな作りの堤防と発掘調査の広場があるくらいの少し物足りなさを感じる場所ではありました。
しかし、当時はあの佐賀藩に勝とも劣らない造船技術を身につけ、戊辰戦争などにも貢献した歴史に名が残る軍艦を建造した恵美須ヶ鼻造船所はその一部を現在まで残しており、まさに明治日本の産業革命遺産に選ばれる遺跡と感じています。
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