【島原半島1周】日野江城を散策!現在は荒れ果てた場所となる…

酔った勢いでハーフマラソン、トリぞーです。

 

現在は島原半島1周1人旅を行っています。

 

前回はたまたま立ち寄った

 

有馬キリシタン遺産記念館を紹介しました。

【島原半島1周】有馬キリシタン遺産記念館を訪問!穴場でおすすめ!

 

今回はその次に訪れた

 

日野江城を紹介します!

 

 

 

日野江城

 

 

日野江城とは鎌倉時代前期の

 

建保年間(1213〜1219)に高来郡を領する

 

藤原経澄が築城しました。

 

経澄は藤原北家で藤原純友の子孫であり

 

築城時に姓を有間と称し

 

後に有馬と改称しました。

 

有馬氏は当初、島原半島南部の

 

一勢力に過ぎませんでしたが

 

後の当主、有馬 貴純の時代になると

 

島原半島内の諸勢力を制圧し

 

戦国大名へと成長しました。

 

また、日野江城の支城として

 

原城が貴純によって築城されました。

 

13代目当主である有馬晴信の時代になると

 

晴信はキリシタン大名となり

 

寺社を破壊し、城の築材としました。

 

江戸時代初期に晴信は

 

4万石を領し、日野江城は

 

島原藩の藩庁となりました。

 

しかし慶長17年(1616)、晴信は

 

岡本大八事件の責任を取らされ

 

切腹となりました。

 

その後、長男の直純が後継となりましたが

 

慶長19年(1614)に日向国延岡城に

 

幕府の命令により移転させられ

 

有馬氏は約400年間にわたる日野江城に

 

別れを告げました。

 

有馬氏が去り元和2年(1616)に

 

松倉重政が日野江城に入城しましたが

 

松倉氏は日野江城に不便を感じ

 

新たに島原城が建設され

 

日野江城は廃城となり

 

歴史に幕を閉じました。

 

 

 

日野江城のいま

 

 

日野江城は昭和57年(1982)

 

国の史跡に指定されました。

 

平成7年(1995)より平成12年(2000)まで

 

発掘調査が行われ、平成18年(2006)初頭には

 

過疎による城地の農地利用の放棄や

 

来訪者の減少により荒廃し

 

約3割近くの箇所で修復が必要であることが

 

明らかになりました。

 

合併前の北有馬町が修復を兼ね

 

桜の名所にしようと城地を公園化整備したが

 

工事を行なった際に、損壊したものと指摘を受け

 

工事は中止となりました。

 

その後、世界遺産候補である

 

長崎の教会群とキリスト教関連遺産の

 

構成遺産の1つに選ばれ

 

平成27年(2015)にユネスコ問機関の

 

国際記念物遺跡会議の現地調査を経た結果

 

平成28年(2016)に

 

「禁教期に焦点を絞るべき」との指摘を受け

 

推薦を一旦取り下げられました。

 

対応を協議し再推薦は決まりましたが

 

禁教期との関連性が薄いとの判断により

 

構成遺産から除外されました。

 

 

 

大手門は立ち入り禁止?

 

 

有馬キリシタン遺産記念館を見て回り

 

案内をしてくれたスタッフと談笑を交えながら

 

日野江城の場所を詳しく聞いていました。

 

すると予想外の言葉が

 

 

「豪雨の影響で正面から行けないかも」

 

 

なんですと?

 

2019年もひどい雨が続き

 

日野江城の正面入り口は崩れているかもしれないので

 

入れないかもと言われました。

 

そこでスタッフから地図をもらいました。

 

 

子供が聞いたであろう可愛らしい地図

 

正面は第1駐車場となるのですが

 

スタッフから第2駐車場からだと

 

大丈夫かもしれないとのことだったので

 

地図を参考に日野江城の第2駐車場を目指します。

 

 

 

 

日野江城 浦口

 

 

第2駐車場は日野江城跡 浦口となっています。

 

しかし、この第2駐車場は

 

駐車場とあるものの

 

車を停めるスペースはほとんどありませんでした。

 

今回は写真の少し下にあるスペースに車を停め

 

歩いて本丸を目指します。

 

道が狭かったので歩いて行きましたが

 

車でも登れそうでした。

 

日野江城の近くまでは歩いて10分程度

 

しかし、登り坂なので少しキツかったです。

 

 

途中で字が消えそうな看板が出てくるので

 

看板に従い、本丸を目指します。

 

さらに途中に車が停めれそうなスペースが

 

 

このスペースの奥で道が突き当たります。

 

 

右に広い道が続いていたので

 

そちらに進みました。

 

 

 

 

本丸の下

 

 

道なりに進むとイノシシよけの柵があります。

 

そこを通ると目の前には

 

北有馬町が一望できます。

 

 

この場所は本丸の下に当たります。

 

 

しかし、この場所は雑草が伸びきっており

 

本丸に上がる道をなかなか見つけることが出来ない。

 

 

道を先へ進むと

 

 

立ち入り禁止の表示。

 

豪雨の影響は本当のようです。

 

この道の先は恐らく

 

大手門に続いていると思われます。

 

 

 

本丸

 

 

大手門へ続く道が立ち入り禁止だった為

 

このまま引き返すか

 

頑張って悪路を登り

 

本丸へ行くかです。

 

季節は夏、本丸へ行くには

 

 

こんな道無き道をサンダルで行くのか…

 

まぁ、行きますよね。

 

なんとか獣道みたいな場所を見つけ

 

いざ本丸へ!

 

 

うん、廃れた城跡ってこんなもんです。

 

 

 

鳥居を発見

 

 

北有馬町も一望できたし

 

本丸へも行くことが出来たので

 

島原半島1周に戻ろうと

 

来た道を戻っていると

 

イノシシ柵辺りで鳥居を発見しました。

 

 

たまたま発見した神社などのスポットは

 

冒険ぽくって必ず行くようにしています。

 

しかし、道がわかりません。

 

本丸から行けそうだけど

 

もうあんな道は通りたくない。

 

 

スリッパだし。

 

他に道もないので突き当たった場所まで戻ると

 

 

その先にも道がありました。

 

浦口から登って突き当たりを右に行った場所を

 

左に行く道です。

 

その道を進むと最近の階段があり

 

登ると日野江城跡の

 

最も高台に着きました。

 

 

そこから少し下ったところに

 

先ほどの鳥居が。

 

 

日野江神社です。

 

 

ここも本丸?

 

 

日野江神社の少し下に

 

広場がありました。

 

 

ここは先ほど行った本丸跡の上になります。

 

案内図によればここも本丸とあります。

 

 

ちょと違うのか?

 

そもそも本丸って1番高いところだと思っていたけど

 

違うのか?勉強不足で辛いです。

 

 

第1駐車場

 

 

第2駐車場に戻り、立ち入り禁止と思われる

 

大手門側の第1駐車場に来てみました。

 

 

ここには割と広めの駐車スペースがあります。

 

 

大手門には駐車場前の

 

この階段から行くことが出来ると思います。

 

写真を見る限り

 

階段には立ち入り禁止の札がなかったので

 

途中までは行くことが出来るでしょう。

 

しかし、この時はもう

 

この階段を登る気力はありませんでした…

 

一通り日野江城を堪能したので

 

島原半島1周の旅に戻ります。

 

 

 

つづく

 

今回は島原半島1周1人旅の立ち寄りスポットとして

 

日野江城跡を散策しました。

 

今は来訪客も少なく

 

整備もされていない印象。

 

夏ってのもあり雑草もすごい…

 

しかし、この城は今でこそ廃れていますが

 

当時は金箔瓦があり

 

 

豊臣秀吉との深い関係性を見ることが出来ます。

 

それでは島原半島1周に戻りたいと思います!

 

つづく!!

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