【大友宗麟】毛利元就の裏切り!しかし宗麟の腕っぷしで返り討ちへ!

脂肪が取れない、トリぞーです。

 

前回は大友宗麟と毛利元就が

 

お互いの領土に手を出さないという

 

不可侵条約を結んだところまで紹介しました。

 

今回はその続きです。

 

 

 

豊前・筑前

 

 

毛利元就との不可侵条約を経て

 

大友宗麟は豊前筑前を得ることができました。

 

しかし、その豊前・筑前の城主や武将たちはというと

 

 

「元就のおっさんがオレたち捨てたらしいよ」

 

「そんでもって今度のボスは大友宗麟だって」

 

「そんなハゲの言うこと聞くか!」

 

『独立だ!!』

 

 

大内政権崩壊の攪乱に乗じて

 

大友氏支配から脱し

 

独立を図る機運が高まってきました。

 

しかし、その裏には

 

不可侵条約を結んだはずの

 

毛利元就がいたのです。

 

 

 

元就の手腕

 

 

その毛利元就はと言うと

 

 

元就「あんなハゲとの約束なんて意味なし!」

 

 

元就にとっては

 

大友・毛利間の約束など

 

政略状の一時的方便にすぎませんでした。

 

乱世の辛酸をなめ尽くし

 

人心の表裏を見抜くほど

 

人世経験を積んだ元就と

 

27、8歳のとっつぁん坊やの宗麟とでは

 

政治手腕においても格段の差がありました。

 

 

元就は防長(山口)の支配者になると

 

反大友と見られる豊前・筑前の武将たちに

 

密かに手をまわして

 

彼らを味方につけていました。

 

 

元就「まじごめん!敵を騙すにはまず味方からw」

 

豊・筑「笑えないっすよ!頼んますよ!」

 

 

大内氏遺領の豊前・筑前を

 

大友支配から奪回するため

 

元就はさらに力を見せます。

 

と思いきや…

 

 

 

元就の知力・宗麟の腕力

 

 

毛利元就の根回しにより

 

大友支配を嫌う豊前の山田隆朝(やまだ たかとも)

 

仲八屋宗種(はかはちや むねたね)

 

筑前の秋月文種(あきづき ふみたね)

 

筑紫惟門(ちくし これかど)らの

 

有力武将たちはいっせいに蜂起します。

 

 

豊・筑「ハゲの言うことなんて聞くか!」

 

豊・筑「独立じゃー!」

 

宗麟「こいつら急にしゃしゃりやがって」

 

元就「モーワタシノ領土ジャナイシ、条約モアルカラ手伝エマセンー」

 

 

弘治3年5月18日

 

山田隆朝、仲八屋宗種らは

 

大友軍の城井左馬助(きいさまのすけ)の城を攻め

 

激戦を展開します。

 

しかし、佐田隆居(さた たかより)らが

 

大友軍の援けに入り

 

山田らはうまく攻めることができません。

 

 

さらに隆居は安心院興生(あじむ おきなり)らと

 

宗麟のために一生懸命に働きました。

 

 

宗麟「おい隆居!お前山田を仲間に入れろ!」

 

隆居「しかし、どうすれば…」

 

宗麟「お前んとこの悪ガキを人質に渡せば信用するんじゃね?」

 

隆居「そんな…」

 

 

宗麟は隆居に、山田隆朝に対して

 

人質を差し出し、大友の命に従うよう

 

説得させました。

 

しかし、隆朝はこれを拒否したので

 

宗麟は田原親宏(たわら ちかひろ)

 

田原親賢(たわら ちかかた)、木付鎮秀(きつき しげひで)らの

 

国東衆を豊前国内に出陣させました。

 

 

弘治3年6月1日

 

田原、木付らが妙見岳城(院内町)を無血開城させ入城しました。

 

この妙見岳城はその後

 

大友氏の豊前の軍事拠点となり

 

防衛上、重要な地位を占めるようになります。

 

 

同6月18日、大友方の広津城(福岡県吉富町)に

 

山田隆朝らの毛利派の軍勢が押し寄せ

 

大友軍と戦いましたが

 

山田勢は打ち崩され

 

300人ほどの死傷者を出し、撤退しました。

 

しかし大友軍は手を緩めません。

 

追討に移った大友軍は

 

田原親宏を大将として

 

同21日、山田城を攻め落としました。

 

さらにその後、山田一族らへの追及が始まり

 

残党退治が行われ

 

隆朝の息子をはじめ、800人以上が討たれました。

 

 

大友軍は続いて7月4日

 

秋月方の馬ケ岳城を攻め

 

秋月の将兵100人以上を討ち取り

 

豊前一帯を制圧しました。

 

 

一方、筑前でも毛利にあおれた秋月文種

 

筑紫惟門、原田隆種らも大友軍に攻められ

 

文種は討死、惟門は降伏し

 

反乱は鎮圧されました。

 

 

 

元就「クソが!あの脳筋やろうが!!」

 

 

毛利派の武将が次々と敗れていく中

 

 

元就「豊前も筑前もあのハゲのものに…」

 

元就「せめて隣の北九州だけでも」

 

 

元就は不可侵条約を破り、北九州へ攻め込みます。

 

 

宗麟「え?え?不可侵条約があるだろがゴラァぁぁぁ!!」

 

 

弟を見殺しにしてまでも元就との不可侵条約を守った宗麟は

 

元就の北九州介入は許し難い約束違反であり

 

その汚いやり方に激怒しました。

 

元就の北九州攻めを鎮圧すると

 

大友の支配体制はさらに強化され

 

宗麟は豊前・筑前の両国を掌握しました。

 

しかし、これで引き下がる元就ではありません。

 

彼はなおも北九州奪回を図り

 

永禄2年12月、大友守備兵の隙をついて

 

門司城を奪取し、北九州への足がかりを作りました。

 

 

 

つづく

 

今回は大友宗麟と毛利元就の戦いを紹介しました。

 

元就は根回しにより、不可侵条約下でも九州を攻めに入りましたが

 

若い大友宗麟の腕っぷしに苦戦したようですね。

 

そしてようやくここで当初の目的であった

 

筑紫氏の登場です。

 

しかし、あっさり大友宗麟に負けたようですね。

 

次回はさらなる宗麟の活躍を紹介したいと思います。

 

つづく!

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