【大友宗麟】弟晴英が大内家へ!しかし、毛利元就により撃沈!

プロテインを飲むための筋トレ、トリぞーです。

 

前回は大友宗麟とフランシスコ・ザビエルとの出会いなどを紹介しました。

 

今回は少し道を外れて

 

大友宗麟の弟である大内義長を紹介します。

 

 

クーデター

 

 

大友宗麟が大友家の当主となった天文20年(1551)8月

 

フランシスコ・ザビエルは豊後の府内に入る前

 

大内義隆(おおうち よしたか)の城下山口に滞在していました。

 

ザビエルが宗麟に呼ばれ、豊後に滞在していた頃

 

防長(周防・長門)の都山口(山口市)では

 

世間を驚かせる内乱が起きました。

 

 

天文20年(1551)9月1日

 

西国最大の大名で、防長に本拠地を置く

 

大内義隆が重臣である陶隆房(すえたかふさ)のクーデターにより

 

山口を追われ、長門深川(長門市)の大寧寺で自害しました。

 

 

反乱の首謀者である陶隆房は主人である大内義隆を自害へ追い込んだ後

 

豊後から宗麟の弟である

 

大友八郎晴英を大内家の後継者として迎えます。

 

晴英の母は大内家の人間であり

 

以前、大内義隆と親子関係を結んでいました。

 

しかし、宗麟は弟である晴英が大内家の後継者になることに反対します。

 

 

宗麟「隆房のじじぃめ、絶対また裏切るに決まってる」

 

晴英「あの大内家の当主になるって名誉!頑張ります兄上!」

 

 

晴英は進んで山口入りを望み、大内家の後継者となりました。

 

そして名を変え、大内義長と名乗ります。

 

同時に陶隆房も陶晴賢(すえはるかた)と名前を変えます。

 

 

大内義長

 

 

大内義長は入国後、豊後の兄上に習い

 

宣教師 コスメ・デ・トルレスやイルマン(修道士)らに対して

 

キリスト教を保護し、山口に教会堂大道寺を建てました。

 

この山口の教会堂は、義長がのちのキリシタン嫌い

 

毛利元就(もうり もとなり)から滅ぼされるまでの6年間

 

日本布教の拠点となりました。

 

義長が残した『耶蘇会裁許状』はザビエル公園の銅板記念碑となり

 

重要文化財として、当時のキリスト教との関係を物語る貴重な史料となっています。

 

耶蘇(やそ)とはイエス・キリストの通称であり

 

または、キリスト教または信者を指します。

 

 

 

実力者 陶晴賢(陶隆房)

 

 

大内家のトップとなった義長はやる気満々です。

 

 

義長「見てて下さい兄上!やりますよーボキは!」

 

晴賢「あ、そのやり方はダメです。それもダメ。」

 

 

山口で新しい国造りに燃える義長ですが

 

実力者である陶晴賢の前には、せっかく立てた計画も思い通りにいかず

 

しょせん晴賢のロボットに過ぎませんでした。

 

そして兄宗麟が感じた不安が現実となります。

 

その不安の要因は大内氏の有力武将である

 

毛利元就

 

 

元就「あの老害めが。よくも義隆様を…許すまじ!」

 

 

元就は旧主である大内義隆を滅ぼした陶晴賢を憎み

 

彼が迎えた義長を大内家のトップとは認めず、エセ国主と見なしていました。

 

そして義隆の仇を討つため、じっと機会を狙うのでした。

 

 

 

毛利元就

 

 

安芸(広島県)に構える毛利元就は

 

陶晴賢と大内義長のクーデター政権に対し

 

これを打倒するため、密かに兵力を備えながら

 

対決の機会を狙っていました。

 

 

元就「晴賢さん、広島の厳島神社でもみじ饅頭でも食べません?」

 

晴賢「むっ…(何か企んでるか?)」

 

義長「もみじ饅頭食べた〜い♪もみじ饅頭食べた〜い♪」

 

元就「ほら、義長様と一緒にいらして下さい(ちっ、ガキが)」

 

晴賢「(まー皆んなで行けば怖くないか)」

 

 

元就は自分の土地である安芸厳島神社に晴賢を誘い

 

神域において陶晴賢の大軍と一戦交え

 

見事、討ち取りました。

 

元就はその実力を内外に示しました。

 

 

元就「後はあのもみじ饅頭のガキだけだ」

 

元就「ガキはお家に帰ってザビエル(菓子)でも食っと…なんだ!?」

 

国民「どんだけ米取り上げるねん!!」

 

 

元就は晴賢のロボットであった大内義長を討伐にかかろうしましたが

 

国内に一揆が発生し、その鎮圧に1年ほどを費やしました。

 

 

おわりに

 

今回は大友宗麟の弟である

 

大内義長を紹介しました。

 

ここで誰もが名前を聞いたことある

 

毛利元就が登場しました!

 

毛利元就ってすごく偉い人かと思っていましたが

 

大内家の武将だったんですね。

 

ここから元就は出世するのでしょうか?

 

少し話は外れてきましたが、これも歴史の魅力でしょう。

 

続きます!

 

 

 

 

 

 

 

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