【大友宗麟】大友家の後継者となるきっかけとなった二階崩れを紹介します!

なんしようとを観ながらの作業、トリぞーです。

 

前回は大友宗麟の家庭環境によりグレてからの

 

父義鑑のが宗麟を見捨てた話までを紹介しました。

 

今回はその家督相続の続きを紹介します。

 

 

実はすごいぞ義鑑

 

 

大友家の後継者を溺愛する塩市丸に決めた義鑑

 

この裏では後妻と入田の働きがけがあったと言われています。

 

しかし、義鑑もただのスケベ親父ではありません。

 

あの名家、大友家の国主です。

 

義鑑の力を物語る肥後菊池家乗っ取りや南蛮貿易での手腕をなかなかのものであり

 

色恋で国政を誤るような人物では大友家のトップには立てません。

 

 

 

二階崩れ

 

 

実は仕事ができるスケベ親父義鑑

 

溺愛する塩市丸を後継者にするために動き出します。

 

天文19年(1550)2月

 

 

義鑑「いろいろスンマな息子、お金出すから温泉に入ってゆっくりしなさい」

 

宗麟「うっせーなじじぃ!(まぁたまにはいいか…)」

 

 

塩市丸が後継者に決定するまで、宗麟が足元にいては困るので

 

湯治を理由に別府温泉の浜脇に行かせ

 

宗麟を府内(大分市)から追い出しました。

 

義鑑は宗麟の留守中に後継者問題に決着を付けようとし

 

斎藤播摩守(さいとうはりまのかみ)小佐井大和守(こさいやまとのかみ)

 

津久見美作守(つくみみまさのかみ)田口蔵人佐(たぐちくらんどのすけ)

 

4人の老臣たちを府内西山城の大友屋形(館)に集めて

 

塩市丸の後継者決定を伝えました。

 

しかし、この報告を聞いた4人は猛反対

 

 

老臣「長男を後継者にしないとヤバイよ!大友家がぐちゃぐちゃになる!」

 

 

当時、長男を後継者にすることが秩序となっていました。

 

 

老臣「しかもそれって入田君が裏にいるだろ!あいつ怪しいよ!」

 

 

4人は口を揃えて入田親誠を非難しました。

 

結局、4人は認めずその場から退席しました。

 

いくら大友家のトップである義鑑でも独裁権を振り回すわけにはいきません。

 

義鑑は国主としてのメンツを失うとともに、4人の老臣へ激しい怒りを覚えました。

 

 

義鑑「あのボケ老人どもが…1対4だからっていい気になりやがって」

 

義鑑「ぶっ殺してやる!!」

 

 

塩市丸の家督実現のため、邪魔者を除くしかなかった義鑑は刺客を準備し

 

再び4人に登城を命じました。

 

すると斎藤と小佐井の2人がやってきたので、待ち伏せさせていた刺客を持って

 

彼らを殺してしまいます。

 

後の2人はというと

 

 

津久見「なんかボスがまた城に来いって。怪しいよね?」

 

田口「んー嫌な予感がしますねー。ここは様子を見ましょう。」

 

津久見・田口「お腹痛いんで行けません!!」

 

 

身の危険を感じた2人は病気と偽り出ていきませんでした。

 

しかし後日、斎藤と小佐井の殺害の知らせを聞くと

 

 

津久見「あのパンチドランカーめ、とち狂いやがって」

 

田口「このままだと私たちも危ないですね。」

 

津久見・田口「ぶっ殺してやる!!」

 

 

いずれ自分たちも殺されると思い、覚悟を決め仲間を呼び寄せ

 

2月10日の夜、府内西山の大友屋形を襲撃しました。

 

 

屋形の裏口から侵入した襲撃団は、そのまま二階の間に駆け上がり

 

まず津久見が塩市丸を切り倒します。

 

続いて田口も側室を殺害し、娘や侍女らをも次々と殺害しました。

 

さらに津久見と田口は義鑑の寝室へと乱入し、自分の主人に刃を向けます。

 

 

津久見「これも大友家のためです!」

 

義鑑「お前らオレのことただのスケベだと思っているだろ?」

 

田口「ただのスケベでしょうが!黙って死になさいよ!」

 

 

義鑑は気丈にも抜刀して立ち向かいましたが

 

もしかしたらただのスケベだった義鑑は津久見の剣を受けて重傷を負いました。

 

しかしその後、駆けつけた義鑑の部下らによって津久見、田口らは討ち果たされてしまいました。

 

この事件は大友屋形の二階で起こったこの日の惨劇は

 

二階崩れと呼ばれています。

 

 

二階崩れのその後

 

 

重傷を負った義鑑の前に別府へ湯治へ行っていた宗麟が一報を聞いて帰ったきました。

 

 

宗麟「おーおー、親父殿、無様な姿だなー」

 

宗麟「そんなんじゃもう国主は務まらんでしょ? ね?分かるでしょ?」

 

 

義鑑は死ぬ前に宗麟が後継者になることを認めました。

 

重傷の身で全てを放棄しなければならなかった彼は

 

もはや長男である宗麟が後継者になることに抗うことができず

 

これを認めたというよりも、息子から一方的に認めさせられたと考えられています。

 

重傷を負った義鑑は2日後の2月12日、享年49歳をもって生涯を終えました。

 

 

 

おわりに

 

今回大友宗麟が大友家の後継者となるきっかけとなった事件を紹介しました。

 

複雑な家庭環境の中で、宗麟のいない間に事件が起こり

 

後継者となった大友宗麟。

 

その後、どのように大友家を導いていくのでしょうか。

 

つづく!

 

 

 

 

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