【太平洋戦争】知り合いのおばぁから聞いた教科書に載らない戦争の話を紹介します。

ヨーグルトは自家製、トリぞーです。

 

最近、戦争映画の『太平洋の奇跡・フォックスと呼ばれた男』を見ました。

 

そして戦争映画と行って思い浮かべるのは『私は貝になりたい』ですし、

 

『さとうきび畑の唄』では嗚咽するくらい泣いた記憶があります。

 

もしかしたら不謹慎かもしれませんが

 

私は戦争映画が好きです。

 

最近、戦争に対しての考え方が少し変わってきた時に

 

知り合いのおばぁから戦争体験談を聞いたので

 

皆さんにも知ってもらいたいと思ったので紹介したいと思います。

 

 

はじめに

 

私は長崎県の出身であり、

 

戦争については、それなりの教育を受けてきました。

 

そんな私が、以前思っていた戦争に対しての考えは

 

日本は意味不明、アメリカは優しいでした。

 

日本は戦争に勝つためなら一般人を見殺しにして

 

戦争に反対する人に対して

 

非国民のレッテルを貼り迫害しました。

 

アメリカの捕虜になるぐらいなら手榴弾で自爆

 

幼いながら昔の日本人は頭がおかしいと思っていたし

 

このように思わせる教育を受けてきたと思います。

 

しかし、30歳を迎えた今

 

戦争に対する考え方が少し変わってきました。

 

 

映画を通しての太平洋戦争

 

私は戦争映画が好きで、テレビで放送がある際は必ず観ます。

 

戦争を取り上げた映画は、ある程度は事実に基づいたストーリーになっていると思います。

 

多分…

 

戦争映画を観ていると、私は少しづつ戦争に対する考えが変化してきました。

 

「アメリカ兵って最悪」

 

幼い頃から平和教育を受けてきた私は

 

「アメリカ兵って優しい」

 

と思っていました。

 

実際にアメリカ兵は日本人捕虜に対して、優しく接していたと思いますが

 

場面場面によっては違うのではと思っています。

 

『硫黄島からの手紙』では

 

日本人捕虜を見張るように上官に言われたアメリカ兵が

 

めんどくさくなって、日本人捕虜を撃つシーンがありました。

 

また、『太平洋の奇跡-フォックスと呼ばれた男』では

 

防空壕に隠れている日本人に対して、アメリカ兵は

 

「メリークリスマス、ジャップ」と言いながら

 

手榴弾を投げるシーンがあります。

 

これが事実なのかはわかりませんが、

 

アメリカ兵の中には、優しい人と

 

そうでない人がいたことは確かだと思います。

 

そんな中『太平洋の奇跡-フォックスと呼ばれた男』で

 

時に印象に残っているシーンがあります。

 

「日本人は誇り高い民族です」

 

アメリカ兵が上官に言ったセリフです。

 

ただの映画のセリフですが

 

このセリフで日本兵の印象がガラッと変わりました。

 

敵には絶対に負けない、負けるくらいなら死を選ぶ。

 

流石に自決はダメだと思いますが

 

祖国のため、家族のために覚悟を決めて戦っていたと言うことです。

 

私も誇り高いと思います。

 

 

おばぁの話

 

知り合いのおばぁと話ていると戦争時代の話になりました。

 

おばぁが実際に体験した太平洋戦争の話です。

 

出だしはかなりショッキングな話でした。

 

「飛行機に追いかけられて、田んぼに隠れた」

 

リアルに言葉に詰まりました。

 

いつも凄く笑いながら話をするおばぁが

 

命さながらの体験をしていたとは…

 

どんな辛い体験談が続くのかと身構えていると

 

「パパイヤを取るのが楽しみだった」

 

と続きました。

 

おばぁは幼い頃、台湾に住んでおり

 

家の周りにパパイヤなどの南国フルーツがあったそうです。

 

当時は食料が少なかったので

 

授業そっちのけでパパイヤを取っており

 

それが楽しくてしょうがなかったと話てくれました。

 

そこから少し話が変わりまして

 

「家に兵隊さんを泊めないといけなくてねぇ」

 

当時、おばぁが住んでいた台湾には

 

あの戦艦大和や戦艦武蔵が来たことがあるそうです。

 

その際は乗組員の日本兵が家に宿泊したそうです。

 

私はその話を聞いて

 

「(最悪、絶対偉そうにしてたんだろうな)」

 

と思いました。

 

しかし、おばぁの話を聞いてビックリ

 

「兵隊さんと遊ぶのも楽しかったよ」

 

私が思い描いていた日本兵のイメージとは真逆です。

 

おばぁは今だに家に泊まった3人の日本兵の名前を覚えており

 

写真も持っているとのことでした。

 

宿泊後、台湾を出航する際は涙を流して見送ったそうです。

 

しかし、戦艦大和は台湾を出航後、攻撃を受けて沈没したそうです。

 

おばぁは今でもたまに写真を見ては

 

「どこに沈んでるの?」

 

と写真に話しかけるそうです。

 

おばぁを知らない皆さんの中には

 

「おばぁ怖っ」

 

と思う人もいるかもしれませんが

 

おばぁを知っている私は

 

その日本兵とのひと時は一生の思い出なんだなぁ

 

と感じました。

 

 

おわりに

 

長崎出身の私はそれなりに戦争に対しての教育を受けてきましたが

 

学校で習ったことは、ごくごく一部なんだなと感じました。

 

当たり前ですが、日本兵にも心優しい人がいて

 

アメリカ兵にも悪い人がいるんですね。

 

長崎出身だから戦争に対して、まわりより詳しいと勘違いをしているのにも気づきました。

 

確かに原爆に関しては他の県の方よりは少し知識があるかもしれませんが

 

太平洋戦争は日本各地に被害を出し

 

その土地では、その土地の歴史があると感じましたし

 

同時に、海外の日本領での太平洋戦争に関しては

 

全くの無知です。

 

NHKの歴史ヒストリアで紹介されていた

 

トラック島という島の話をおばぁに言うと

 

「あぁ〜トラック島ね、懐かしい」

 

と、何とも不思議に感じる感想でした。

 

海外の日本領での太平洋戦争に関しても

 

日本人として知らないといけないと思います。

 

少しづつでも勉強して、また紹介したいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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