【四王寺山】33体の石仏を巡る四王寺山!その由来とは?

最近トイレが近い、トリぞーです。

 

以前、四王寺山に登り33体の石仏を巡りました。

【四王寺山】桜の名所岩屋城跡や33体の石仏を巡る登山!!

今回はその33体の石仏が作られた由来を紹介したいと思います。

 

四王寺山

 

四王寺山は太宰府市の北側を覆い

 

大宰府政庁跡を守るかのように立っています。

 

 

四王寺山には神代の昔から

 

古代、中世、近世に至るまでの

 

歴史や多くの伝承、物語が詰まっています。

 

そして、それに関連する遺跡や遺構

 

素晴らしい風景を見ることが出来ます。

 

 

四王寺山は古来、大野山と呼ばれ

 

西を大城山、その峰を鼓ヶ峰

 

東を大原山、南を岩屋山といい

 

これらの山が連なり、現在は1つの四王寺山となります。

 

 

大野山

 

天智天皇4年(665)、大野山には大野城が築かれました。

 

朝鮮半島の国、新羅(しらぎ)から攻撃されると考えられていた為です。

 

宝亀5年(774)、大野城の一角に新羅からの呪いに対抗するべく

 

四天王像を安置する、四王院が創建されました。

 

その後、大野城は戦いに使用されることなく、その役目を終え

 

この山は四王院を中心とする仏教の山として栄えたことから

 

『四王寺山』の呼称が一般的となりました。

 

現在も尾根に沿って

 

毘沙門天広目天増長天持国天

 

と呼ばれる地域があります。

 

 

三十三観音霊場

 

四王寺山の三十三観音霊場

 

江戸時代後期(1789〜1801)に、博多浜口町などの

 

主だった人々が奮起して、西国三十三カ所霊場をモデルに作られました。

 

この頃、博多の町では大火事を始め

 

天然痘の流行、豪雨の被害などの凶事が続いていました。

 

石仏は四王寺山を一周する土塁線上を周回するように配置されており

 

最後の三十三番礼所は中心部の四王寺集落の中にあります。

 

 

三十三観音霊場の由来

 

『三十三』の数字は、観音菩薩が衆生を救う際、

 

33の姿に変化するという信仰に由来します。

 

33ヶ所の観音菩薩を巡礼参拝すると

 

現世での罪が消滅し、極楽往生できると言われています。

 

平安末期に西国三十三観音霊場が修行僧の遊行・巡歴コースとして定まり

 

室町中期以降、民間信仰として全国的に広まりました。

 

 

おわりに

 

今回は四王寺山にある33体の石仏の由来を紹介しました。

 

33対ある理由は、観音菩薩が33の姿に変化するからなんですね。

 

四王寺山はこの他にも岩屋城だったり、大野城跡だったりと

 

 

たくさん歴史を感じられる場所があります。

 

気楽に登るのも良いですが

 

歴史を知って登るとまた違う楽しみがありそうですね!!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です