【耳なし芳一神社】山口県下関市にある赤間神宮を参拝!歴史や伝説などを紹介します。

 天ぷらがメインじゃない定食は一流、トリぞーです。今回は山口県下関市にある赤間神宮に行ってきたので紹介します。

概要

 赤間神宮は山口県下関市にある安徳天皇を祀った神社であり、貞観2年(859年)に創建されました。時代でいうと平安時代前期にあたります。その後、文治元年(1185年)に長門国赤間関壇ノ浦(現在の山口県下関市)にて平家と源氏との間で決戦があり、その戦いで平氏は滅亡しました。安徳天皇の母は平清盛の娘であり、平家の政治の切り札でした。しかし平清盛の死後、衰退した平家は壇ノ浦の戦いで敗北し、残された安徳天皇は平清盛の妻、時子に抱かれて海に身を投じ、自殺しました。安徳天皇の遺体は現場付近では発見されませんでしたが、建久2年(1191年)後の天皇の命令により御影堂が建設されその後、勅願寺として崇敬を受けました。

 第二次世界大戦により社殿は焼失しましたが、昭和40年(1965年)4月に新社殿が竣工されました。その後、昭和60年(1985年)に全国平家会が県立され、石川県輪島市にある平時忠の子孫『時国家』に分霊を受けました。その際に邸内社が建立され能登安徳天皇社の称号が授与されています。

 

アクセス

 所在地は山口県下関市阿弥陀寺町4-1です。この日は自家用車で行きましたが、中国自動車道下関ICから車で13分、公共交通機関ではJR山陽本線下関駅からバスで10分、JR山陽新幹線下関駅からバスで30分となります。駐車場は神宮の向かえにあり約10台程度駐車できます。
 神宮の周りには唐戸市場などがあり、海のすぐ近くでとても気持ちのいい場所です。

 

平家一門の墓

 赤間神宮には安徳天皇が祀られていますが、その一族ともいえる平家の墓碑があり、七盛塚とも呼ばれており地元にはある伝説があります。

 1781〜1789年、関門海峡で嵐が続き九州へ渡る船や漁船の遭難が相次ぎ、海上交通を絶たれた商人や壇ノ浦の漁師たちは生計がたたずに大変困っていました。そんなある夜、漁師たちは荒れ狂う暗い夜に、泣き叫ぶ男女の声を聞いたので闇をすかして見ると、そこには成仏できずに海上をさまよっているたくさんの平家武者と官女の亡霊の姿がありました。漁師たちはこの災難は平家一族の怨念による祟りであると考え、供養する人もなく荒れ果てた平家の墓を一ヶ所に集め、京都の方角に向けて手厚く供養したところ翌日からは嵐は嘘のようにおさまりました。

 あくまでも伝説ですが平家がこの地で滅んだことは事実であり、安徳天皇も海で亡くなっているので、供養することで水難除けのご利益があるのは納得ですね。

耳なし芳一

 平家一門の墓の隣に耳なし芳一を祀っている芳一堂があります。その中には木彫りと思われる芳一の像もあります。ぱっと見は可愛らしい印象ですが、ずっと眺めているとどこか悲しそうな、そしてすごく人間らしい表情に見えてきます。
 耳なし芳一とは赤間神社の前身である阿弥陀寺を舞台とした怪談です。イギリス出身で日本国籍を取得した小泉八雲の『怪談』にも取り上げられ広く知られるようになりました。『臥遊奇談』でも琵琶師の名前は芳一であり、背景舞台は長州の赤間関、阿弥陀寺とあり現在の下関市、赤間神宮のことと特定できます。物語の内容は割愛しますが、解釈としては突出した能力を持つ人間が、その影響を恐れたお偉いさん達の陰謀により殺されかけたということです。

 

御朱印帳・御朱印

 赤間神宮の御朱印帳は平成27年1月にリニューアルしたみたいで、その他に3色(青・紫・オレンジ)を基調にしたものがそれぼれ3種類程度あったと思います。うる覚えですみません…私はリニューアル前と思われる安い方(1000円)を購入しました。御朱印は300円です。

 

おわりに

  実は当初、赤間神宮に行く予定はありませんでした。と言いますか存在すら知りませんでした…この日は近くの唐戸市場に行く予定でしたが、朝からまさかの腹痛、唐戸市場を通り過ぎ道沿のトイレへ。そこが赤間神宮でした。
何も期待せずに行くと、耳ない芳一に平家墓。そんなに詳しくはなかったのでがかなりワクワクしました。そしてこれも何かの縁と思い手を出せずにいた御朱印帳も購入。すごく思い出に残る神社になりました。
 先ほども言いましたが近くには唐戸市場があったり、神宮駐車場のすぐそばにはもう海、そして下から見る関門海峡大橋。
下関に来た際は是非立ち寄ってみてください。

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